
SWITCHとCOYOTEに平野歩夢が登場
今年11月、20歳を迎える節目にユニクロのグローバルブランドアンバサダー契約を結んだ平野歩夢の魅力に迫るべく、カルチャー誌「SWITCH」(左)では“オフの平野歩夢”を、旅の雑誌「COYOTE」(右)ではアスリートとしての“オンの平野歩夢”をテーマにそれぞれ異なる切り口での特集を掲載しました。撮影は若木信吾、スタイリングは長谷川昭雄が担当。
撮影場所のロサンゼルス郊外の海沿いの街、サンクレメンテは毎年平野がトレーニングのために滞在する、平野歩夢のベースキャンプとも呼べる街です。
澄んだ空気と年間を通しての温暖な気候は心身を鍛えるにはうってつけの場所に感じました。
以下ではSWITCHとCOYOTEそれぞれのファッションシューティング撮影のようす、さらにCOYOTEに掲載した「平野歩夢ロングインタビュー」と「平野歩夢をもっと知るためのAtoZ」のダイジェスト版、そして11月13日に行われたユニクロのグローバルブランドアンバサダー記者発表のようすを特別にお届けします。お楽しみください。
撮影メイキング① SWITCH[CONTINUES]
快晴の1日。スケートパークやビーチ、平野が実際に足を運んだことのある古着屋さんなど、滞在中の街中のスポットをともに巡った。
撮影メイキング② COYOTE[次なる高みへ]
サーファーの聖地として知られるサンクレメンテ。その海岸線を一望できる坂の上の街を、スケートボードを片手に歩きまわりながら撮影。海を見ながら、サーフィンもいつかやってみたいですねと平野は言う。
試し読み[平野歩夢ロングインタビュー] from COYOTE
幼少の頃に憧れた景色
—— 物心つく前からスケートボードとスノーボードを始められていたと思いますが、覚えている最初の記憶を教えてください。
平野 始めた頃(4歳)の記憶としてはっきりとしたストーリーは覚えていないですが、5、6歳の時にスケートパークの外にあった大きなバーチカル(スケートボードのハーフパイプの名称)でずっと繰り返しターンの練習をしていたことは覚えています。
—— 同じくプロスノーボーダーとして活躍されている3つ上の兄・英樹さんが始めていたのが平野さんのスケート・スノーボードのきっかけですよね。
平野 そうですね。小さい時はずっと兄を追いかけていましたし、父がスケートパーク運営に携わっていたこともあって、本当に毎日スケート漬けの日々でしたね。
—— スケートパークが子どもの頃からの遊び場だった。
平野 でも毎日楽しくやっていたわけではありません。小さい時から遊びじゃないという意識もあったので、父の指導もとても厳しかったですし、当然怪我もいっぱいするので辛くて行きたくないと思うこともよくありました。
—— 気づいた時にはもう競技の世界に踏み出していた。
平野 ジュニアクラスの大会とかは小さい時からスケートもスノーボードも両方出場していました。どちらも結果は良かったり悪かったりではありましたが、今と比べると自信に満ち溢れてスノーボードやスケートをしていたという感覚はあります。
—— それはなぜですか?
平野 目の前に可能性が拓けていて、何も考えずとも前を向いていたと思うので、そういう意味では自信を持ってスノーボードをしていました。
—— 何も考えない強さ。確かに小さい時はお兄さんたちの背中を追いかけながら、残された轍を辿ればよかった。
平野 そういうところから生まれた強さや技術の上達はあったと思うので、今の自分と比べるとすごく差を感じますね。今は本当にいろんなことを考えなくてはいけない。
—— 今は何度も世界一を経験したことで、見える景色が違ってきた。
平野 そうですね。今は小さい頃に見ていた景色とは真逆の状態で、自分がスノーボードを進化させ続けていかなければならない立場にあります。コンテストにおいても自分がいなければいけないし、子どもたちの憧れになるようなパフォーマンスをするためには練習の仕方も人と同じことをしていてはいけない。そういう意味ではすべて自分の頭で考えて作り出したものでなければ世界にはなかなか通用しないし、年々そこの部分が大事になってくるのかなって思います。
—— すばらしい挑戦者としての心構えですね。そして自分を見てくれる子どもたちのことを意識されているんですね。
平野 自分も小さい時には上の人たちのことを、憧れを抱いて見ていたので。誰もが小さい時にはスターのような存在はいると思います。だから自分も世界の子ども達からそういうふうに見てもらいたいっていう意識はあります。
—— 日本の子どもたち、ではなく世界の子どもたちを意識されていることに驚きました。
平野 はい。僕がこれまで色々と挑戦を続けてこれたのは海外に拠点を移してからですし、自分のスノーボードもスケートボードもそこから始まっています。海外に来て出会ったもの、得たものが大きいんです。
—— スノーボードが盛んな海外の視点から見て、日本のスノーボードシーンについて思うことはありますか?
平野 「日本のスノーボード」っていうキーワードは正直わからないことのほうが多いです。スノーボードやスケートボードをする時はほとんどこっちにいるので、日本人のライダーの知り合いも少ないですし、誰が上手なのか、誰がかっこいい滑りをしているのかもわかっていません。アメリカにはスノーボード業界の企業の本社がたくさんあって、そこで作られたスノーボードのグローバルチームの映像作品を小さい頃から見て育ちました。だからどちらかというと海外のライダーに憧れを抱くことが多かったですし、スノーボードをずっと頑張ってこれたのはそういうかっこいい存在がいたからだと思っています。
—— スノーボードの本場アメリカの、それこそ「X GAMES」や「USオープン」で平野さんが優勝することで、「日本のスノーボード」が世界に通用することを平野さんは証明してきました。
平野 「日本のスノーボード」というものをこっちで表現することを自分も望んでいるし、コンテストでも撮影の分野でも、こっちのフィールドにどんどん刺激を持ち運ぶいろんなライダーがいてほしいなって思いますね。そういう日本人ライダーの代表的な存在として自分も見てもらえるように活動していきたいです。それにスノーボードをやらない人たちからも日本でスノーボードをもっと認めてもらい、自分が真似されるような存在になれればいいですね。そのためには勝ち続けなければいけない。他の強い選手たちがたくさんいるから難しいと思いますが、様々な挑戦を続けながら頑張っていきたいですね。
—— ちなみに小さい時に憧れていたライダーは誰ですか?
平野 いろんな人に憧れを抱いてきたので、今でも具体的に誰っていうのは思いつかないですね。それこそ日本人だったらカズくん(國母和宏)とか。ショーン・ホワイトはずっと「王者」というイメージですごいなと思っていたし、バックカントリーだったらダニー・デイヴィスがかっこよかったですね。同じスノーボードだけど、いろんな人がそれぞれのフィールドで戦っている。それこそかっこいいライダーは昔を辿ればいっぱいいたと思います。彼らが作りあげ、かつて自分が羨望の眼差しで見てきた景色をそのまま今の時代でも同じように、いやそれ以上にたくさんの人に見せていきたい。見せてあげられたらいいなって常に思っています。
(インタビュー全文は「COYOTE NO.66」にて!)
ダイジェスト版!! [平野歩夢をもっと知るための A to Z] from COYOTE
A as AIR(エア)
スノーボードのエアとはジャンプ、または空中にいる間のこと。ハーフパイプでは1回の滑走で5回から7回のエアが演技に組み込まれるが、平野歩夢が他の選手を圧倒しているのが、このエアの高さ。パイプにドロップインして1ヒット目のエアは7m以上といわれており、世界トップクラスを誇る。高く跳ぶためにはパイプを抜けるときにどれだけテイクオフを待てるかが鍵となり、平野は幼少の時からスケートボードのランプ(ジャンプ台)で練習を繰り返すことで、シビアにテイクオフの感覚を身につけてきた。また、平野のルーティンでは1ヒット目からスピンを入れることは敢えてしていない。自身のポリシーとして、1ヒット目でエアトリックの美しさを最大限に表現し、続く4連続の超高難度スピントリックにつなげることで勝利を掴んでいる。
F as FAMILY(家族)
平野家は父・英功(ひでのり)さん、母・富美子(とみこ)さん、3歳上の兄・英樹(えいじゅ)さんと4歳下の弟・海祝(かいしゅう)さんの5人家族。英樹さんもプロスノーボーダーとして活躍し、海祝さんもジュニア世界選手権ハーフパイプで表彰台にあがるほどの実力を誇る。
G as GUINESS(ギネス世界記録)
平野歩夢は2014年2月11日にソチ五輪で銀メダルを獲得したことで、スノーボードにおける最年少のオリンピックメダリストに認定された。達成記録は15歳と74日。
P as PROFESSIONAL(プロ契約)
平野歩夢は小学4年生のときにバートンと契約を結び、プロライダーの仲間入りを果たした。スーパーキッズとしてメディアなどに取り上げられる小学生は珍しくないが、スノーボード界のトップベンダーが認めたプロライダーとなると話は別である。平野は小学生にして、「将来的に世界ナンバー1、オンリー1のライダーになる」といるお墨付きを与えられ、海外のコンテストへと活動の舞台を移していった。
(続きは「COYOTE NO.66」にて!)
UNIQLO GLOBAL BRAND AMBASSADOR 就任発表のようす
2018年11月13日、平野歩夢はユニクロのグローバルブランドアンバサダー契約の就任発表会を行いました。会場は昨年開設した有明にあるユニクロの新社屋「UNIQLO CITY TOKYO」。平野歩夢に加えて、ファーストリテイリンググループ執行役員 GCL TOKYO クリエイティブディレクターの木下孝浩氏、同社執行役員 ユニクロ商品本部メンズMD担当の堺誠也氏らが登壇。平野歩夢は就任についての感想を以下のように述べています。
「グローバルブランドアンバサダーとして、ユニクロに関われることを非常に光栄に思います。スノーボードのスタイルは、カジュアルやストリートスタイルに密接な関わりがあるので、ユニクロは僕自身にとても合っていると思います。僕は実際、以前からユニクロの商品にとても興味を持っていました。ユニクロと僕が力を合わせれば、スノーボードのファッションスタイルを多くの方々の生活にLifeWearとして取り入れていただくきっかけになるなど、何か新しいことができそうだと考えています。ユニクロの顔として、グローバルに活動できることにとても興奮しています」
さらに平野は2020年の東京オリンピックで正式種目となった「スケートボード」での五輪挑戦の意向を表明しました。平野がスケートボードを始めたのは4歳の頃から。スノーボードも同じ歳に始めたが、スケートボードの方がすこし早かったと語ります。平昌オリンピックで金メダルを獲得したショーン・ホワイトもスケートボードでの挑戦を表明しており、平昌を沸かせたあの熱闘が再びくり広げられる可能性も。平野歩夢の今後にますます目が離せません!
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