【WEB版 】MONKEY vol.21刊行記念 柴田元幸 朗読&トークイベント

コロナ禍を契機に今年4月、初のWEB開催となったMONKEY刊行記念トークイベント。まだまだ予断を許さない現状を鑑み、6月15日発売『MONKEY vol.21 猿もうたえば』の刊行記念トークイベントもWEB上で開催することとなりました。MONKEY編集長・柴田元幸による最新号の見所を凝縮した、大好評特別企画第二弾! 音声とテキストでお楽しみください。

*音声ファイルのサイズは約40MBです。
通信環境をご考慮頂いた上お楽しみください。

 
 

 こんにちは。柴田元幸です。文芸誌MONKEY、おかげさまで6月15日に第21号が出ることになりました。今回の特集は「猿もうたえば」。今回は珍しく、編集長柴田が思いついたタイトルです。これにあわせて、これまでにもMONKEYで何度か素晴らしいアートを描いてくれた平松麻さんが、表紙のために素敵なマッチ箱アートを作ってくれました。映画『雨に唄えば』でジーン・ケリーが雨のなか、電柱にしがみついて歌うシーンを模して、猿が電柱にしがみついて高らかに歌っています。「猿もうたえば」という特集名に合わせてくれたわけです。……と、さもわかっているふうに言いますが、実は僕は、自分で「猿もうたえば」というタイトルを思いついたくせに、「雨に唄えば」とのつながりのことは、少なくとも意識的には頭になくて、単に「犬も歩けば」のもじりのつもりでした。と、何とも頼りない編集長ぶりなのですが、まあでもそういう凝った仕掛けが見えなくても、平松さんのアート自体を一目見て素晴らしいと思った—— そのことが一番大事なのだと思います。
 と、我ながら説得力のない理屈で表紙の話は終わり、本体の話に入ります。MONKEY21号、まずはエミリー・ディキンソンの詩を日英対訳で載せたページから始まります。その日本語の翻訳を読みます。

大地にはたくさんキーがある
メロディのないところに
知られざる半島がある
美しさは 自然の事実

けれど陸の目撃者
そして海の目撃者
コオロギこそ 私には
自然最大の哀歌エレジー


—— という、言葉はシンプルですが発想は決してシンプルではないディキンソンの詩です。大地を大きな鍵盤楽器にたとえて、いろんな音楽が鳴っているけれど、ひっそり鳴っているコオロギの歌こそ私には「自然最大のエレジー」である、と、小ささと壮大さがいかにもディキンソンらしく同居する詩です。

 素晴らしい作品だと思うんですが、この8行から成る詩、たいていのディキンソン詩集には載っていません。なぜかというと、これはもとは、別の詩の最後の部分だったのですが、ディキンソンは結局、この8行を削除した形で、その詩を完成させたのです。要するにこれ、ボツ原稿なんですね。
 そうなると、この8行を削ったあとに残ったのはどんな詩だったのか、気になるところです。で、これは、エミリー・ディキンソンのあらゆる詩のなかでももっとも有名な部類に属し、かつもっとも難解な部類に属す作品です。なので、いまから例によって訳したものを朗読しますが、単に訳を聴いていただくだけではわかりにくいと思うので、あらかじめ、全体を貫くイメージを、カンニング的にお知らせします。まず、教会で執り行なわれるミサを思い浮かべてください。細かいことは気にせず、とにかく荘厳な儀式が行なわれるというイメージ。それに、草むらでほそぼそと鳴いているコオロギの姿と声を重ねあわせてください。その重ね合わさったイメージを、夏が終わり秋になっていく、季節の流れのなかに置いてください。いいでしょうか。教会のミサ。コオロギのひそやかな歌。夏から秋への季節の変化。行きます。エミリー・ディキンソン、例によって無題ですが、一行目をとって通常“Further in Summer than the Birds”と呼ばれる詩です。

Further in Summer than the Birds

鳥たちより夏は深まり
草むらから 粗末な姿で
小さな国家が祝う
人目につかぬミサを。

いかなる儀式も見えず
神の恵みの訪れも ごくわずかずつ
穏やかなならわしと化し
さみしさを 押しひろげていく。

真昼には 古めかしいことこの上なく思える
八月が低く燃えるなか
この幽霊のごとき聖なる歌が立ちのぼり
永遠の眠りをうたう

恵みはいまだ消えさらず
ほのめく光に影もささないが
とはいえ 古代ケルトのごとき神秘な変化が
いま 自然を高める


 —— エミリー・ディキンソン、1865年の詩です。で、元はこのあとにさっきの8行が続いたわけです。

大地にはたくさんキーがある
メロディのないところに
知られざる半島がある
美しさは 自然の事実

けれど陸の目撃者
そして海の目撃者
コオロギこそ 私には
自然最大の哀歌

 要するにディキンソンは、いままで「人目につかぬミサ」を執り行なっていたのが何者なのか、ここで種明かしをしているのですが、その種明かしの部分を取っ払ってしまったわけです。もうコオロギという言葉は残っていません。ディキンソンという人は、作品を推敲するにあたって、つねにより微妙な方、より神秘的な方に向かうようです。ただしこの詩に関しては、その代わり、と言っていいのか、およそ微妙でないこともやっています。この詩の清書原稿を彼女は、兄の恋人に宛てた封筒のなかに入れたんですが、そのなかに一緒に、紙に包んだコオロギの死骸も入れているんですね。ただ、この詩とコオロギが入った封筒、結局切手も貼られず、投函されなかったようです。

 MONKEY21号、最初の2ページについてお話ししました。こんなふうに、皆さんがお読みになってどのページからも、コオロギの歌や、人間の叫び声や、80年代のポピュラーソングや、30年代のブルースや、ネイティブアメリカンの口承詩などなどが聞こえてくることを願っています。執筆メンバーを、ごく簡単に紹介しておきます。アイウエオ順で行きます。
 伊藤比呂美 言葉はうただという真理を誰よりも本気で実践している詩人。
 ウォルト・ウィットマン アメリカの「歌う詩」の伝統を始めた人。かつ最良の実践者。
 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ アメリカの「呟く詩」の20世紀最良の実践者。
 金関寿夫先生。尊敬しているのでつい「先生」をつけてしまいます。ネイティブ・アメリカンの口承詩を含むアメリカ詩の最良の読み手。
 アレン・ギンズバーグ ウィットマンが立ち上げた「歌う詩」を20世紀に引き継いで、「歌う」代わりに「吠えた」詩人。
 スチュアート・ダイベック 小説でも詩でも、一行一行から音楽が聞こえてくる書き手。
 エミリー・ディキンソン アメリカの「呟く詩」の最良の実践者。
 西崎憲 作家、翻訳者、ミュージシャン、編集者……いくつもの顔がある人ですが、今回は名著『全ロック史』の著者として登場してもらいました。
 チャールズ・ブコウスキー ボブ・ディランが好きなのかどうかよくわからないけれどとにかく「ボブ・ディラン」という詩を書いている詩人で小説家。で、この号でも「ボブ・ディラン」を載せました。
 ブレイディみかこ 当代一のジャーナリストにして筋金入りのモリッシー愛好者。この号では初の小説、もちろん音楽の聞こえる小説、を書いてくれました。
 グリール・マーカス アメリカ音楽をアメリカ文学のように語る音楽評論家。1930年に録音されたジーシー・ワイリーの「最後の優しいことばブルース」をあらゆる面から語った文章を今回は訳しました。
 ジェローム・ローセンバーグ ネイティブ・アメリカンの口承詩を英語で紹介した功績者である詩人。今回の特集は、サンディエゴ大学の宮尾大輔さんが彼をインタビューしてくれた原稿からすべてが始まりました。

 加えて、連載はいつものとおり、イッセー尾形川上弘美岸本佐知子古川日出男各氏。加えてMONKEY自慢のアートワークは、駒井哲郎髙田安規子・髙田政子ただ野口里佳平松麻三好愛若木信吾です。

 それで、今回は、ディキンソンだけじゃなくて、何人かの詩を読もうと思ったのですが、いざ自分の部屋で、レコーダーを前にして、人の詩を読もうとすると、いくら翻訳は自分だといっても、これがなかなかうまく行かないんですね。なんというか、その人になりきるのが恥ずかしいというか、そんなことしちゃいけないんじゃないか、という気がしてくるんですね。目の前に聴いてくれる人がいると、かえってやりやすいと思うんですけど、とにかく小説を朗読するのとは違うみたいです。小説だと、朗読するのは、その作者になりきるというよりは、物語を語る役割に徹するという感じなんですけど、詩だとやっぱり、その詩人代理という色合いが強い気がします。まあさっきはディキンソンを読んだわけですけど、ディキンソンの場合は、あまりにも奥が深いので、とにかく自分が発見したことを報告する、という気持ちでやれるんです。
 というわけで、MONKEY21号から一歩離れて、でも、「猿もうたえば」という発想にもつながる小説を読もうと思います。エドガー・アラン・ポーの詩は時として露骨に音楽的で、The Bellsという詩などは、Bells, bells, bells, と何度もくり返して、鐘の鳴る響きを再現しています。あれは素直に訳すと、カネ、カネ、カネ……となってしまって、金の亡者か、という感じになってしまいまして、翻訳の不可能性をあらためて感じたりします。で、ポーの小説はそこまで音楽的ではないですけれど、それでも、リズムということにはあざといくらい意識的ですし、リフレインを呪文みたいに効果的に使った作品もあります。そういう作品のひとつを読みます。「アマンティリャードの酒樽」(The Cask of Amontillado)という作品です。

朗読 エドガー・アラン・ポー「アマンティリャードの酒樽」

 エドガー・アラン・ポー「アマンティリャードの酒樽」でした。アモンティリャード!という一語がリフレインとして効いていますし、何より鈴のチリン、という音が頭に、というより耳に残ります。
 ちなみにこの翻訳は、下北沢の書店B&Bが面白いことを考えてくれて、この翻訳の手書き原稿のPDFをオンラインで販売してくれています。

 さて、MONKEY21号は、言うまでもなく、新型コロナウィルスのもたらした激変のなかで作られました。僕らの心づもりとしては、その空気を、直接雑誌に反映させるつもりはなかったのですが、結果的には、部分的ながら、コロナ禍のただなかだからこそ生まれたページも含むことになりました。
 まず、さっきもちょっと触れた、ブレイディみかこさんの小説は、コロナ禍の只中にある、イギリスのどこかの町の人と犬の物語です。新聞で読む報道とは違った、いまのイギリスを生きる実感のようなものが伝わってきます。
 そして、この雑誌の編集作業と並行して、ニューヨークに住むバリー・ユアグローからは、ひところは毎日のように新しい作品が送られてきました。ニューヨークのコロナ禍の「震源地」と言われた、クイーンズのエルムハースト病院からわずか1キロのところに住んでいるバリーは、日々サイレンの音を聴きながら過ごし、その音がまるで深い海に棲む生物の声のように聞こえていたそうです。そうやって書かれた作品のうちの一本「鯨」を21号のおしまいに載せました。作品のなかに出てくる、鯨のヌォオオという声は、サイレンの音そのままだそうです。で、ここでは別の超短篇「サマーハウス」を読みます。

朗読 バリー・ユアグロー「サマーハウス」

 バリー・ユアグロー「サマーハウス」でした。先日亡くなったクリストの大梱包プロジェクトを思わせますが、と同時に、次々と禁止や命令が積み重ねられていったコロナ禍の日々そのものを象徴しているようでもあります。
 ちなみにこの「サマーハウス」、それからMONKEYに載せた「鯨」などの超短篇12本を収めた小冊子を急きょ作りました。『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』という題です。イグニション・ギャラリーというところが作ってくれました。ユアグロー、イグニション、ギャラリーでグーグルすれば出てくると思うので、よかったら見てみて下さい。

 さて、MONKEY21号発売もこれからなのに気が早いですが、すでに22号の制作も始まっています。今度は「怪談」「幽霊ばなし」をやります。そこに載せるかどうかわからないですが、世界一短いと思える怪談を朗読して今日は終わりにします。I・A・アイルランド「幽霊譚のためのエンディング」。

朗読 I・A・アイルランド「幽霊譚のためのエンディング」

 「なんて気味悪いんでしょう!」と娘は、そろそろと進みながら言った。「それになんて重い扉!」。そう言いながら彼女が触れると、扉はいきなり動いてかちっと閉まった。
 「なんてこった!」と男は言った。「この扉、こっち側には把手がないぞ。僕たち、二人とも閉じ込められてしまったよ!」
「二人ともじゃないわ。一人だけよ」と娘は言って、男の目の前で、扉をすうっと抜けていって、消えた。

 MONKEY編集長、柴田元幸でした。聴いてくださってありがとうございます。MONKEY21号、それにほかの号も、楽しんでいただけますように。


柴田元幸への質問大募集

今回のイベント開催を記念し、MONKEY編集長・柴田元幸への質問を募集します。注意事項をご確認の上、下記のフォームよりご応募ください。たくさんのご応募をお待ちしております! 6月21日(日曜)締め切り。 *第1回のQ&Aの模様はこちら

【注意事項】
*全ての質問への回答はいたしかねます。あらかじめご了承ください。
*ご応募頂いた情報は、すべて公開をさせて頂く可能性がございます。お名前、お住まいなどは公開可能な情報のみをご記入ください。
*質問内容は公開の際、内容を損なわない程度に一部加筆修正を行う場合があります。

※こちらの募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。


 

MONKEY vol.21
特集 猿もうたえば
1,200円+税

 

WEB特典:バリー・ユアグロー超短篇『猿たち』
柴田元幸手書き翻訳原稿(A6サイズ 8P)