奄美大島の笠利町にあるPARADISE + innというB&Bが好きだ。目の前に広がる海も美しいが、何よりも裏庭に大きなガジュマルの木がある。細い幹が複雑に絡まりあった大きな幹は多方に分岐して繁茂し、気根が大地に垂れ下がるように樹を支えている。樹高はゆうに20メートルを超えている。沖縄では、ガジュマルの木にはキジムナーという精霊が宿るといわれている。キジムナーは多くの幸せをもたらすのだ。九州以南、沖縄を中心とした琉球弧に広く分布するガジュマルの木、その語源は様々だが、防風林としての働きから「風を守る」が変化したという一説がある。PARADISE + innの樹齢四百年は数えるその木は、まさしくこの一帯を守っている。
ある時PARADISE + innに都会から親子がやってきた。親はサーフィンに夢中で、滞在期間中はずっと朝早く一人で出かけていた。一人でいた男の子と朝食が一緒になったので声をかけた。
「いくつ?」
「知らない」
「名前は?」
「知らない」
媚びない子だなと思った。偏食の子はヨーグルトとジュースだけでサラダには手を付けなかった。食べ終わると小さなスケッチブックを取り出し色鉛筆で何やら描いていった。貝殻の絵だった。
「綺麗な色だな」
そう声をかけても男の子は無視だった。
「じょうず」
「ヘタ」男の子が言った。
ガジュマルの木には近くに住む子どもたちが集まる。時に木登りをしたり、好きな形の気根に腰を下ろしたりしている。木登りは上級者と初級者のルートがある。大きく足をのばし、ちょうどいい枝に手をかけて勢いよく身体を持ち上げる。ボルダリングと同じ要領だ。地元の子どもは裸足で登っていく。一人でいた男の子に女の子が声をかけた。
「シューズを脱いだら登っていいよ」
「いいよ」
木の上から声をかけられたのが嫌だったのか男の子が首を振った。女の子はまた少し経つと声をかけた。
「登れば」
今度は男の子は素直に応じた。でもなかなかうまくいかず最初の踏み出しの枝に足がかからなかった。
「その枝に最初に足をかけて」
女の子の言うことにはなかなか耳をかさないようだ。後から登る子は男の子を追い抜いて登っていく。女の子がしびれを切らしたのか、するすると木から下りて、男の子の腰を持つ。
「ここ、ここ」
女の子に従うと、うまくするすると登ることができた。女の子はその後について登った。止まり木に腰をかけると女の子が訊いた。
「君、いくつ?」
「20歳」
男の子が答えた。
「ああ、めんどくさい」
女の子の反応が正しかった。そう言うと女の子はさらにその上の枝をめざす。木に登る。誰ひとり中心でないあの美しいかたちに触れるために。そして男の子が地面に立って見送っている。
スイッチ編集長 新井敏記