雑誌「スイッチ」はタブロイド8Pのペーパーからスタートした。価格は100円で販売ルートは直販として都内の書店が主な取引だった。当初はパシフィック音楽出版という音楽出版社の機関誌としてあった。新しく立ち上げたインディーズのレーベルをスイッチと冠した。スイッチは変わると同時にしなやかな枝という意味もあった。若いミュージシャンを応援するブランドとしてはふさわしいと思った。
パシフィック音楽出版の代表が朝妻一郎という音楽プロデューサーだった。日本の音楽シーンを牽引する彼は、大瀧詠一や加藤和彦、小田和正などそうそうたるミュージシャンの曲を世に送り出した。加藤和彦は『あの頃、マリー・ローランサン』のアルバムで朝妻に「タクシーと指輪とレストラン」という曲を贈っている。ある夜都会で暮らす男と女の切ない恋愛情景、まるで「ニューヨーカー」に掲載されたアーウィン・ショーの短編にも似た世界をひも解くように物語は展開されていく。ミュージシャンとプロデューサーとの繋がりにはビジネスを超えた仲間意識が存在していた。
パシフィック音楽出版はフジ音楽出版と合併し、フジパシフィックミュージックとなり、今年で50年目を迎えた。この3月1日、日本武道館でそれを記念したライブが開かれた。一夜限りの祝いには音楽出版社と繋がりを持つミュージシャンが参加した。冒頭泉谷しげるが黒いギター一本で「春夏秋冬」を歌った。今日だけはおまえたちだけの「春夏秋冬」を歌えと泉谷は咆哮をあげた。武道館の客席をいっぱいに埋めた観客たち一人ひとり、世につれた歌にも物語がそれぞれにあることを彼は改めて教えてくれた。音楽プロデューサーは寛大なもの、あざやかな個人主義を描くと嘯きながら、雑誌「スイッチ」は一度も機関誌たる役割を演じることなく独立を果たしていった。ここではないどこか、まるで歌のように人を励ましていくことを願っていつのまにか30年という時が経った。いつかスタンダードなバックナンバーが揃うことを夢見て。
スイッチ編集長 新井敏記