5月6日、「山のアルプ美術館」の館長山崎猛さんの訃報を知った夜、2017年の夏山崎さんの元を訪ねた時のことを思い出した。『山のパンセ』で知られる哲学者串田孫一の遺品を丹念に整理して、山崎さんは個人で美術館を運営していた。グレーの二階建ての洋館は、北東の知床半島の付け根斜里町に咲いた串田孫一の清冽な宇宙だった。山崎さんの語り口の軽快なテンポが懐かしい。山崎さんはいくつか大切な串田孫一の教えをこう言った。
「道草をくうほどに自然を謳歌すること、自然を観察し、思想を生成すること。好きなものにまっすぐに感動すること」
山崎さんは串田孫一のことを「先生」とまっすぐに呼ぶ。
「先生の教えを、次の世代に語り継ぐことが私の役割です」
移築された串田の書斎は深い森のように本が積み重なっていた。山崎さんはほこりもちりも「先生の思索の跡だ」と誇っていた。なるほどちびた鉛筆も空のインキ壺も小石を入れた小さなブリキ箱も山崎さんには宝物だった。
「私が生きていくことの背骨をいただいた」
20歳の時、山崎さんが住み込みで働いていた書店に串田さんが編集の「アルプ」創刊号が取次から配本されてきた。白い表紙に山河の絵、書店は注文した覚えがなく誤送だった。その連絡をすると返送不要という答えが発行元から返ってきた。山崎さんは1週間ほどかけて全部のページに目を通していった。「アルプ」はいかに登るかということは教えてくれなかったけれど、山を思うこと、感情や文化を教えてくれた。山には頂上もあれば稜線もある。そして麓も里もある。自然を見つめること。心をわし掴みにされた山崎さんは、すぐに定期購読を申し込んだ。
山崎さんの死因は心不全だったという。告別式の日取りは5月7日だった。コロナ禍で会うことは叶わず、せめて一冊の串田孫一の『孤独な洗礼』を読み、それを弔意とした。
—— 遠く続く、確かにこの足許から続く純白の山なみや雪原に、私の未来の起伏を感じよう。それは私にとって、今を遅らせればもう再び訪れることのない孤独な洗礼である——
串田孫一先生、あなたの知のそれを美となす人によって栖を生成した。なんと幸福な人生かと思った。
スイッチ編集長 新井敏記