お会いする数週間前、いつも優河さんのCDを聴きながら、作業をしたり、ご飯を食べたりしていました。その歌声を聴いていると、清流が流れているような気持ちになり、部屋の隅々まで歌で満たされると、優河さんが、そこにいるような気がしてきました。しかし、その声を辿っていくと、どんどん遠くにいってしまう。そんな奥行きのある歌声。森の奥、海の底、空の果てへ、迷いこんでしまったような気持ちにもなってくる。本人は、そこにいるのだけれど、近づけない。このような感じで、CDを聴きながら数週間経ち、実際の優河さんに会うことになりました。 わたしは緊張していました。歌声を聴いて、なかなか近づけないような気がしていたからなのです。
現れた優河さん、挨拶をすると、あの声で「こんにちは」。勝手に感動してしまいました。さらに声に集中すると、なんだか、アッチの世界に連れていかれそうになりました。でも優河さん、あの声で、実はとても気さく、いろいろと話してくれました。その話は、別に奇をてらっているのではなく、あくまで吉祥寺ローカル。優河さんの声で、「井の頭公園」「いせや(吉祥寺の焼鳥屋)」と発せられただけで、そこが、とても素敵な場所になるような気がしました。どちらも実際に良い場所なのだけれど、井の頭公園の池が透明になり、いせやの便所に清流が流れている感じがするのでした。
(戌井昭人・記)
「生まれたところは?」
「東京都の中野区です」
「育ったのも?」
「育ったのは吉祥寺です」
「すると遊びはもっぱら井の頭公園ですか」
「そうです。記憶がそこしかない。学校も吉祥寺だったんで、ほとんど吉祥寺から外に出ないで過ごしていました」
「井の頭公園以外で、他に行ってた場所は?」
「吉祥寺のゲーセンとか」
「ゲーセン?」
「吉祥寺の伊勢丹の前に小道があって、そこにあるゲーセンによく行ってました。あとは伊勢丹の屋上とかに」
「幼稚園の頃は? どんな遊びをしていましたか」
「両親が共働きだったので、家にシッターさんがいて、妹とシッターさんとわたしで、飛行機ごっこというのをやってました」
「飛行機ごっこ?」
「幼稚園とかにある、木の椅子あるじゃないですか、あれを一番前に置いて、二番目に背もたれのある椅子を置いて、三番目にソファーを置いて、エコノミークラスからファーストクラスになっているんです」
「椅子の良し悪しで、クラスが違う」
「それで、ファーストクラスだったら、そこに座るのに似合った名前を自分でつけて」
「ファーストクラスは、どんな名前?」
「たしか、みどりって名前だった。それで、お菓子を持ってきてもらったりして」
「みどりは、ファーストクラスだから態度も大きい」
「そうです」
「客室乗務員は?」
「それはエコノミーの人がやってました」
「エコノミーの人は大忙しですね」
「はい。そういう遊びをしてました。それが一番印象的な遊びだったかも」
「小学校の頃の印象的な出来事とかありますか」
「一度、女の子と取っ組み合いをして、鎖骨にヒビが入ったことがあります。四年生だったと思います」
「どうして取っ組み合いに?」
「その女の子がK-1が好きで。『優河やろうぜ』って感じになって、やられたんです」
「蹴りをくらったんですか」
「いえ。『ガンッ』て、押されて鎖骨がビリビリと。でも折れてはなかった」
プロレスごっこの延長みたいなものですけれど、男勝りというか、男子の遊びのような気もします。
「活発で体を動かすのは好きだったんですね」
「授業中とかは、あまり手をあげたりはしなくて、おとなしかったけど。男の子を追いかけまわしたりはしてました」
「どんな感じで追いかけてたんでしょうか」
「オラ~って」
「オラ~って本格的じゃないですか」
「お母さんがPTAで打ち合わせをしているとき、『オラ~、オラオラ待ちやがれ』って声が聞こえてきて、ふと見たら、わたしが男の子を廊下で追いかけていたんですって」
「凄まじいですね」
「だから母には、『あのときは本当に恥ずかしかった』と、いまだに言われます」
「習い事とかは?」
「ピアノです。でもいまは弾けません」
「他には?」
「英語のクラスに通ってました」
「家の近くですか?」
「吉祥寺。だから小学生くらいのときは、電車に乗った記憶がほとんどないんです」
「ぜんぶ吉祥寺ですね。でも、なんでもありますもんね吉祥寺は」
「そう、そこから出なくて良い。そこで全部完結できるんです」
「自転車で遠出とかもしてない?」
「してないですね」
自分が吉祥寺で思い浮かべるのは、いせや(焼鳥屋)なので、その話を優河さんにすると。
「そうだ。公園のいせやの下の、ドナテロウズっていう喫茶店でアイスを売ってて」
ちなみにいせやは、井の頭公園の入り口のところと、バス通りのところ二軒があります。
「あそこでアイスをたべるのが好きでした。三種類選んで、最後に混ぜたら一番美味しいのは何だろうと、兄妹三人で研究してました」
「研究結果は」
「抹茶、オレオクッキー、ラズベリーかな」
「それを最後に混ぜるんですよね」
「そうです」
「全部、主張がありそうな味ですが」
「でも美味しかった」
「あのお店はもう無くなってしまいましたよね」
「はい。一番良い喫茶店だったのに」
「他に吉祥寺で食事するところは?」
「近所の焼肉屋さんとかイタリアン。そこには、誕生日のときなんかに行ってました」
「そんなこんなで、吉祥寺をうろつきながら、お育ちになって」
「でも小学校のときに、うろつくのは公園くらいでしたよ」
「そうか、じゃあ中学に入って、少し範囲を広げて吉祥寺をうろつく」
「そうですね」
「中学のとき、部活とかは?」
「器械体操です」
「どうして器械体操だったんですか?」
「小学生の終わりくらいから、器械体操の面白さに目覚めて。それで、中学もやったんだけど、すぐにやめてしまいました」
「オリンピックに影響されたとか?」
「いえ。スポーツ全般は苦手で、苦手意識もすごかった。でもマット運動だけできたんです。バク転とか。それが嬉しくて」
「バク転ってすごいですよね」
「最初は側転、そこから、足をつけて下りるというのがあって、次にハンドスプリングになって、そういうのを徐々にやってたら、バク転になったんです」
「それは学校の授業?」
「そうなんです。バク転はギリギリ、補助ありでできたんですけど」
「いまバク転は?」
「できません」
「体が柔らかいんですね」
「でも、いまは硬い。当時はブームみたいな感じで、友達同士で頑張る感じでやってたんです。わたしは中の下でしたけど」
「部活をやめてからは?」
「それからは、ずっと遊んでました」
「どんな遊び?」
「ゲーセン、デパートの屋上とか、あとはカラオケです」
「ゲーセンではなにをしてたんですか?」
「プリクラです。あと先輩と一緒にお茶をしたりしてました」
「どこでお茶を?」
「ココスとか、マクドナルド」
「そこで駄弁ってるんですか」
「そうです」
このように、まだ音楽に行き着く感じはないのですが、優河さんは、中学のときに友達とバンドを組んだそうです。
「当時はガールズバンドが流行ってて、友達とやろうとなって」
「どんな音楽?」
「アヴリル・ラヴィーンとかグリーン・デイとか」
「楽器は、なにを担当してたんですか?」
「ベースです。そのとき初めてベースをやりました」
「どうしてベース担当に?」
「男の先輩がバンドをやってて、それぞれ好きな先輩と同じ楽器にしようということで、わたしはベースになりました。でもチューニングの仕方もわからない感じだった」
「発表とかライブは?」
「学校のバザーでやったんですけど。持ち曲が少なくて、『優河、一曲歌いなよ』となって、そのとき初めて人前で歌ったんです。それを母が見てたんです。体育館でやってたんですけど、最初はまわりがガチャガチャ騒がしかったけど、母が言うには、わたしが歌いだしたら、その場がシーンとなったらしくて」
「凄い」
「それで母が何かを感じたらしく、高校に入ったら、ボイストレーニングをはじめてみたらと言われたんです」
「そのときなにを歌ったの?」
「AIさんの『Story』って曲です」
「アカペラで?」
「ピアノの伴奏で」
「ピアノは誰が弾いてくれたの」
「鎖骨にヒビ入れてくれた友達が」
「鎖骨の子は、ずっと仲良しだったんですね」
「そうなんです」
「鎖骨の子、お名前は?」
「山本さんです。音楽もそうですし、彼女には、いろいろ教えてもらいました」
「K-1も」
「彼女は、お兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんから影響受けていたんですね」