今からもう40年も前の話だ。伊豆の河津に玉峰館という宿があった。今も経営母体は変わって旅館は続けているが、全く別物としてある。趣も全く変わってしまった。昔の玉峰館は個人経営で日本家屋に主の趣味であるバリの家具がほどよく調和した、何か森の中でひっそりと佇む静かな風情をたたえていた。入り口近くに置かれたガラスケースに漆や茶器が売り物として並べられている。茶器の中に一点だけ白磁のコーヒーカップがあった。円錐の反りが美しいと思った。主にガラスケースを開けていただき、白磁に触った。琥珀色のコーヒーがそのまま映り込むような薄さ、何よりも軽かった。すぐに割れてしまうような危うさに魅かれた。値段を訊ねると、コーヒーカップ一脚としては高価だったが、買いますと勢い伝えた。すると主はもう一脚、奥の棚から白磁のコーヒーカップを目の前に置いた。円錐の浅いものと深いものの二脚、作家は黒田泰蔵という方だと聞いた。よく見ると円錐に波紋のような轆轤を回した跡がかすか浮かんでいた。ゆっくりとした繊細なタッチの跡がゆっくりと円を描いている。
「黒田泰蔵さんは画家の黒田征太郎さんの弟さんです」
主は言った。その言葉に押されたように二脚を買い求めた。
あれから黒田泰蔵さんにも知己を得て、黒田征太郎さんとともに伊豆高原のアトリエにも足を運んだ。海に面した最高のロケーションだった。自ら転圧機を操縦し荒地を整理している姿が印象的だった。ある一角を泰蔵さんは指差した。「兄貴のためにここにアトリエを建てようと思う」そこは光射す森が背景に広がっていた。黒田征太郎さんは「俺には家はいらない」と言下に否定した。終の栖にともに住む、兄に憧れアメリカ、カナダ、そしてヨーロッパに旅に出た泰蔵さんの切なる願いに感じられた。今や自分の白磁の作品が欧米で高い評価を得ていることを泰蔵さんは征太郎さんに伝えた。「よかったね」黒田征太郎さんの心ない返事が耳に残っていく。「他人の評価なんて、俺にはまったく興味ないことだ」黒田征太郎さんは僕だけに聞こえるように呟いた。泰蔵さんは兄に褒めてほしいと本当に思っているんですと、僕は言いかけたがやめた。征太郎さんにはそんなことわかっていることなのだ。
白磁のコーヒーカップは、使うたびにコーヒーの渋が洗っても淡く残っていく。以前の輝かしい白さは徐々に消えていった。薄い飲み口の部分もわずかに欠けた。金継ぎでも思ったが無粋だと思い、使う頻度を抑えてそのままにしていた。使いこむと白磁は、箒雲のような墨絵となっていく。
ある日、黒田泰蔵さんから白磁のソーサー付きのコーヒーカップが12脚、贈られた。コヨーテ再刊の祝いだという。再刊の記念号は黒田征太郎さんと作った野坂昭如特集だった。
4月、黒田泰蔵さんが亡くなったことを黒田征太郎さんからの電話で知った。最後に「伊豆の泰蔵のアトリエにまた行きたかったね」と黒田征太郎さんは言った。アトリエ脇の黒田泰蔵美術館の完成は先のことだと聞いた。いったい個人美術館で黒田泰蔵は何を展示したかったのだろうか。伊豆高原のアトリエで美術館に飾られた花器を見るよりも、泰蔵さんが焼いてくれた鯵の開きをまた食べたいと思った。炊きたての白ご飯に白磁が合う。白米がなんだか輝いて見える。国宝の黒釉の天目茶碗も昔は僧がお茶をのめば、ご飯もよそる生活の碗だった。今宵、白磁のカップに流れたてのコーヒーをそそぎ、黒田泰蔵さんに献杯をする。
スイッチ編集長 新井敏記