玄界灘に浮かぶ長崎県の壱岐島。博多港から高速船でわずか1時間のこの島は対馬海流(黒潮)の只中にあり、世界有数の漁場を誇る。古くから漁業の島として栄え、今日も沖へと何艘もの船が出る。ここには暮らしの一部として釣りが身近にある。豊かな海と共に暮らす人々に導かれ、ここでしか味わえない釣りを求めて旅に出る。
協力=五郎丸 平山旅館 株式会社こころ壱岐 IKI PARK MANAGEMENT 株式会社
マグロ漁に懸ける
海の男のロマン
うねる波を切り裂き、船は不規則なリズムで上下に揺れながら航行する。予報通り早朝の海は時化ていた。
「外にいたら波を被るから、中に入っててください」
五郎丸船長の松尾五郎さんが声をかけてくれた。レーダーやソナーなどの機材が並ぶ操縦席の下を這うように進むと、人がちょうど三人横になれるほどの広さの仮眠スペースがあった。横になり、覗き窓の向こうに遠のいていく壱岐の岸壁を眺めた。
夜明け前に出航し、マグロの一本釣り漁に同行させてもらう。五郎さんは、壱岐島の最北端に位置する漁師町・勝本を拠点とする腕利きのマグロ漁師だ。漁師だった父親から五郎丸を譲り受け、漁師歴は25年を数える。勝本はイカ釣りで栄えた漁師の町で、古くから網を使わない一本釣り漁法を大切に守り続けている。五郎さんもイカ漁やブリ漁からキャリアをスタートし、15年ほど前にマグロ漁師へと転向した。孫の代まで魚が尽きないように、豊かな海の恵みを一本釣りで平等に分け合うという勝本の漁師たちの精神は、勝本のマグロの価値を高め、近年では「東の大間、西の勝本」と言わしめる。
100キロを超えれば大物とされる中で、五郎さんは過去に317キロ(ワタ抜き)のクロマグロを釣り上げたこともあり、ここ勝本で釣れたマグロに1100万円の値が付いたこともあるという。マグロの値付けは時期や市場の流通量なども相まって大きく変動し、大間でマグロが釣れなくなる年明け頃が、勝本のマグロの市場価値が最も高くなるのだそうだ。
「夢はあるけど、みんな夢を追い求めて大変な思いをしてますよ」遠くを見つめて五郎さんはそう呟く。
一時間ほど航行して、目的の七里が曽根という場所に着いた。ここは壱岐でも屈指の好漁場で、GPSを確認すると壱岐と対馬のちょうど真ん中に位置していた。遠くにうっすらと壱岐が、その反対には対馬が見渡せた。
「すごい! いつもなら百艘近い漁船が集まってるっちゃけど、今日はほぼ貸切状態やね」
そう声を上ずらせるのは、平山周太朗さんだ。壱岐の湯本にある老舗温泉旅館、平山旅館の料理長を務め、自他共に認める大の釣り好きだ。今日のマグロ漁に同行することが決まって、興奮して昨夜は眠れなかったという。
「せっかく七里まで行くんだから、何を狙おうか、どう釣ろうか、道具を前に考えてたら3時を回っとった。こうやって考えてる時間もまた釣りなんよ」
潮の流れと風向きを確認すると、さっそくマグロ釣りの準備に取り掛かる。マグロ用の特製リールと釣り竿を船の前後に固定し、生き餌を泳がせて釣るのが一般的な勝本のスタイルだ。大間では電動巻上げ機を使って効率化を図っているが、数百キロのマグロを釣り竿で釣るというのは、釣り人にとっては夢とロマンに溢れている。この日生き餌に使うのはトビウオ(あご)だ。普段ならイカを使うことが多いが、6月上旬のこの時期は特別。春先からこの時期にかけて、産卵のために壱岐の浅瀬に集まるトビウオを、この時期に回遊してくるマグロが狙うのだ。
生け簀を覗くと、昨晩五郎さんが釣ったトビウオが20匹ほど泳いでいた。あご掬いと言って、夜に集魚灯をつけて視認しながら水面近くを泳ぐトビウオをタモ網で掬い取るのだ。
「あごで釣るのが一番おもしろかとよ。でかいマグロしかあごを食わん。それにでかくなればなるほど賢くなるけん」
マグロとの知恵比べを楽しむかのように五郎さんは方言混じりにそう言って微笑むと、太い鉤をトビウオの頭の後ろに掛けて海へと放した。50号の太いナイロン糸を50メートルほど繰り出すと、釣り竿の先端から出ているラインをつまんで細いゴムで甲板の突起と繋いだ。
「魚がかかったらこのゴムが伸び切れます。マグロなら一瞬で切れて、すごい音をたててラインが出ていきます」
これで仕掛けは完了のようだ。竿先の反応以上にゴムを使うことで、より繊細なアタリをキャッチできると同時に、マグロを待つ間に他の釣りや作業をこなすこともできる。プロの漁師の経験から導き出された知恵だった。
20分も待たずしてゴムに反応が出た。ビヨンビヨンと伸縮を繰り返し、今にも切れそうになっている。
「この反応はシイラかな」
五郎さんがそう呟くと同時にゴムがぷつりと切れた。慣れた手つきでリールを使わずに素手でラインを手繰り寄せていく。すると、沖の方で青く輝く魚体が飛び跳ねた。シイラだ。「今日はシイラ地獄かな……」そう言いながらするすると糸を手繰り寄せると、ものの数分でシイラはあっけなく釣り上げられた。甲板で最後のあがきを見せる1メートルほどの魚体は、興奮して体色の鮮やかな青に半分ほど黄色が混じっていた。鉤を外してすかさず脳天に手カギを突き刺すと、必死の抵抗も虚しく、みるみる白く変色していった。
シイラは地方によって多くの呼び名があり、壱岐ではマビキと呼ばれている。万匹からきているようで、一度に大量に獲れることからそう呼ばれるようになったと言われている。ハワイや欧米ではマヒマヒと呼ばれて人気のシイラも、壱岐では市場価値は低く、マグロ釣りにおいては外道なのだ。
手際よく血抜きを済ませ、ホースで甲板についた血を綺麗に洗い流すと、すぐに次の仕掛けに取り掛かる。餌を付ける前に、糸の先端の感触を指で確かめ、ハサミで切って再び鉤から付け替える五郎さんにその理由を訊いた。
「シイラの歯で糸がギザギザに傷ついていたんです。そうすると糸が光を反射して魚の食いが悪くなる。魚も賢いですから。特に魚がスレてる時(警戒している状態)はそういった気遣いで釣果に差が出ます」
前日の準備から始まり、一回一回の仕掛けに最善を尽くす姿勢はまさに職人だった。潮の流れに船を任せ、船がポイントから外れたら戻ってまた同じ作業を繰り返す。魚群探知機に反応があれば、嬉々として生き餌を泳がせ、ひたすらマグロがかかるのを待つ。一人で船を操縦し、大海原で自分一人の判断でマグロを狙う。釣れるも釣れぬも自分次第の究極の世界だ。結局この日、マグロの仕掛けにかかって釣り上げたのは4匹のシイラだった。
「おるとですよ。この海のどこかに」
一攫千金の大物マグロに懸ける、プロの漁師のロマンとリアルを見た。
美味しくいただくまでが釣り
平山旅館のおもてなし
正午を過ぎて勝本の漁港に戻ってくると、この日釣れた魚を周太朗さんが捌いてくれるというので、車で10分ほどの湯本の平山旅館へと向かう。平山旅館は1500年以上の歴史を誇る湯本温泉の発祥地であり、鉄分を含んだ赤い塩湯を源泉で堪能できる。「日本書紀」に登場する神功皇后が三韓出兵の折に発見し、我が子応神天皇に産湯を使わせたという伝説も残る神秘の温泉だ。
「飯にする前に、先に温泉にでも浸かってさっぱりしておいでよ」という周太朗さんの提案に甘え、潮風に当たって疲れた身体を温泉で休める。旅館の敷地には温泉の神様を祀った祠もあり、国内随一の神々の島として知られる壱岐の風格が随所に漂っていた。
風呂上がりに周太朗さんの待つ厨房に行く。豊富な魚種がずらりと並ぶ様は圧巻だった。シイラ、ヒラマサ、キジハタ、アカハタ、メイチダイ、アヤメカサゴと、この日釣れた魚は15匹。周太朗さんは慣れた手つきで次々に鱗を剥いでいく。
「魚は大きくても小さくても捌く作業は基本的に一緒。アジの三枚おろしができたら何でもできる」
冗談とも本気とも捉えられる物言いで、10分もかからないくらいのスピードですべての魚を捌き切ってしまった。周太朗さんは宿泊客が釣ってきた魚も、頼めばこうして捌いてくれるそうだ。壱岐育ちの周太朗さんに釣り歴を訊ねると、実はまだ始めて数年というから驚いた。釣りを始めるようになって何か変化はあったかと訊くと、調理する手を止めることなく「より魚を大事に扱うようになったかな」と返ってきた。「無駄なく美味しく食べてあげなきゃね」、そう周太朗さんは独りごちた。
釣りは、日々の生活でつい忘れてしまいがちな、命をいただくという根源的な行為の大切さを思い出させてくれる。周太朗さんの言葉を聞きながらそんなことを思った。この日釣った魚たちは、平山旅館で自家栽培した野菜や島で採れた旬の食材と共に、お造りや味噌煮、唐揚げ、塩焼きといった海鮮会席料理となってテーブルを埋め尽くした。これらの料理すべてがこの島の豊かさを物語っていた。
旬の食材といえば、この日釣れたヒラマサやメイチダイも6月が旬の魚と言われている。そもそも旬とは、四季のはっきりした日本だからこそ重んじられてきた考え方であり、味の良くなる時期というのは栄養価が高いことにも繋がるため、旬のものを食べれば健康になると信じられてきた。つまり、いかに魚を美味しく食べるかという考えが、同時に日本の釣りを進歩させていったのではないだろうか。平山旅館の和を重んじた食のおもてなしを受けながら、日本の魚食文化と釣りの関係性に思いを巡らした。
刺身は、皮にお湯をかけることで旨味が活性化される。釣った魚を美味しくいただくには、ちょっとしたひと手間が大切だ。
壱岐から始まる
新しい船釣り体験
「壱岐には、気軽に釣りができる環境だけでなく、釣った魚を食べる環境も充実しています」
そう教えてくれるのは、「わんぱっく壱岐」という船釣りサービスを展開する立山晋吾さんだ。平山旅館のみならず、釣った魚を持ち込めば捌いてくれる地元の料理店を船釣りのお客さんに紹介、案内し、要望があれば釣った魚を下処理を済ませた状態で自宅に発送してくれる。釣った魚を美味しく食べてもらうところまで面倒を見てくれる船釣りサービスは、全国的に見てもほとんどないという。
「遊漁船では、基本的には釣った本人が自分で神経締めや血抜きなどの処理をするのが普通なんです。漁師がお客さんの魚に包丁を入れて発送するのは食品衛生法に抵触する恐れもあって、線引きが複雑でグレーなことが多い。だから、通常の遊漁船では釣り体験までしか面倒を見ないんです」
壱岐出身の晋吾さんは、壱岐と博多・対馬間を結ぶ九州郵船に10年勤め、その間に全国の船を渡り歩いて来た、いわば船のエキスパートだ。船のことや法律を知り尽くしているからこそ、サービスとして提供できることを見極めている。晋吾さんは全国の遊漁船を視察する中で、遊漁船の業界全体の底上げに繋がるようなサービスを始めたかったと話す。
「多くの遊漁船に乗ってきてわかったのが、九割のヘビーリピーターしか客として相手にしていないということでした。〝初心者OK〟とうたっているのですが、基本的には乗り合いだから、初心者を集中的にケアすることもできず、お客さんが船長に怒られている場面に遭遇したことも度々ありました」
ベテランの釣り人たちと無愛想な漁師、そんな怖いイメージを持っている人も多いかもしれない。せっかく壱岐に来たからちょっと船釣りを体験してみたいなと思っても、未経験者にとってはハードルが高いのだ。何を準備すればいいのか、レンタル道具を壊したらいくらかかるのか、釣った魚はどうすればいいのか、もし船酔いしたらどうしよう……そんな様々な不安を解消してあげることで、もっと気軽に船釣りを楽しんでもらいたい、そのような思いで晋吾さんは高校の同級生で漁師の下条和樹さんと二人で船釣りサービスを始めた。持ち物は遊び心だけでいい、わんぱくな心と一つのパックという二つの意味を込めて「わんぱっく」と名付けた。
「僕らのサービスは、船釣り未経験の、特に子どもを連れた家族を主な対象にしています。大人が楽しんでいる様子を見れば、子どもも安心してのびのびできると思うんです。もし竿を折ったり船で怪我をしてもちゃんと保険が適用されますし、子どもが船酔いをして降りたいと言ったら一度港に戻って、島の観光に連れ出してあげることもできます。常に二人体制でお客さんのサポートをしているからそんなことができる。今までこういうサービスってなかったんです」
翌日、実際に「わんぱっく壱岐」のサービスを体験すべく、平山旅館の平山周太朗さんと若女将の真希子さん夫婦、そして三人の幼い子どもたちと一緒に、和樹さんが船長を務める魚生丸に乗せてもらった。和樹さんは若手の漁師ながら、過去に200キロ超えのマグロを釣ったこともある腕利きの漁師だ。沿岸のポイントに着くと、和樹さんは子どもたちのサポートにまわった。
この日はアジを生き餌にして根魚を狙う。生け簀から網でアジを掬い取ろうとすると、4歳のようだいくんが率先してその任務を買って出た。掬い取ったアジに和樹さんが鉤を掛けると、ようだいくんに竿を持たせて海に放す。底までオモリが沈んだことを確認すると、少しラインを巻き取って魚が食いつくまで待つ。この間も子どもたちから目を離すことはなく、周囲にも気を配っていた。
周太朗さんは和樹さんに安心して子どもたちの面倒を任せ、ジギングでヒラマサなどの青物を狙い、真希子さんは和樹さんに教わりながらタイラバで真鯛や根魚を狙う。しばらくしてようだいくんの持つ竿にアタリがくると、和樹さんは竿を支えながら巻き上げを促し、数分の格闘の末に見事アカハタを釣り上げた。釣り上げた獲物にご満悦のようだいくんは、しばし生け簀に入れられたアカハタを眺めることに夢中になっていた。
この日も真鯛やシイラ、ヤリイカ、アオハタ、アカハタ、キジハタ、レンコダイなど豊富な魚種が釣れた。港に戻ってくると、それらをまとめて船上で血抜き、神経締めをしていく。「かわいそう」と言いながらもその様子を真剣に見つめる子どもたちにとって、この日の釣りは一生忘れない体験になるに違いない。
島の楽しみを
循環させていくために
「家族で釣りを楽しめるっていいですよね。家族で壱岐に旅行に来ても、お母さんと子どもを壱岐イルカパークに置いて、一人で釣りに出かけてしまうお父さんもたまにいらっしゃるんです」
そう話す高田佳岳さんは、2年前に東京から壱岐に移住し、イルカが飼育された入江でグランピング体験などが楽しめる壱岐イルカパーク&リゾートの代表を務めている。島全体の観光の窓口としてコンシェルジュ的な活動もしており、「わんぱっく壱岐」を紹介してくれたのも高田さんだ。この日は高田さんが運営する一棟貸しのゲストハウスの庭で、釣った魚をBBQスタイルでみんなで味わうことになった。
鶴亀という場所にある古民家を改修したゲストハウスの庭で、BBQグリルを囲んで海の幸に舌鼓を打つ。この日のメインディッシュは高田さんによる真鯛とアオハタのウッドプランクだ。杉の板の上に食材を盛り付けて、板ごと蒸し焼きにするアメリカで定番のBBQスタイルで、誰でも手軽に魚を美味しく調理できる方法として披露してくれた。
高田さんは東京水産大学と東大の大学院の出身で、アウトドアに長け、日本屈指のフリーダイビング選手の経歴を持つ、知識と能力を兼ね備えた海のエキスパートだ。かつて東京では大手広告代理店に勤め、その傍ら社会活動家として東北の被災地のために奔走するなど、異色の経歴の持ち主なだけに、なぜ壱岐に移住されたのか、その理由を訊いてみた。
「国境離島プロジェクトのアドバイザーとして20程の島を視察しながら回っていたのですが、壱岐は島全体が明るい空気に包まれていたんです。食べ物もこれだけ豊かだし、温泉だってある。それに、誰でもこれほど簡単に魚が釣れる海を僕は知りません」
移住してからの2年間で、高田さんはこの島の魅力を再発見すべく、島内の様々な人に積極的に会いに行った。島の宿泊施設にもすべて泊まるほどの徹底ぶりだ。そしていつしか考えるようになったのが、この島全体で楽しめることをどうすれば循環させていけるか、ということだった。
「例えば家族で壱岐に遊びに来て、釣り好きなお父さんは明け方から昼まで五郎丸で沖釣りに出かけて、午後は魚生丸に乗って家族みんなで釣りを楽しみ、夜は平山旅館で釣った魚を調理してもらって食べる。そんな楽しみ方を壱岐ならもっとたくさん増やしていけると思うんです」
高田さんが話す循環という言葉の裏には、これだけコンパクトな島だからこそ、市町村などの分け隔てなく、島全体で協力していこうよ、という願いが込められているように思えた。
「日常においても言えることですが、旅先で人と出会うって、とても大切なことですよね。だからイルカパークに来たお客さんには、せっかく壱岐に来たのなら魅力的な人たちを紹介してあげたいし、周太朗さんや五郎さんのような、島生まれ島育ちのかっこいい大人たちにもぜひ会ってもらいたい。もともと僕はお客さん目線で壱岐をずっと見てきたから、お客さんにより近い立場でサポートできると思っています」
そう言って高田さんは続ける。
「それぞれのキラッと光る点が繋がって面ができたら、観光だけにとどまらず、壱岐の未来がより良い方向に向かっていくと思うんです」
そう言って人懐っこい笑顔を見せる高田さんは、お客さんと事業者を繋げるだけでなく、事業者同士も繋げていく、まさにハブ的な立場になることが自分の役目だと捉えていた。
この島で出会った人たちと焚き火を囲んで語らいながら、夜は更けていった。壱岐の豊かな自然を求める旅は、いつしかこの島に暮らす魅力的な人たちに会うための旅へと変わっていた。
special thanks
遊漁船 五郎丸
平山旅館 長崎県壱岐市勝本町立石西触77番地
わんぱっく壱岐(株式会社こころ壱岐)
壱岐イルカパーク&リゾート 長崎県壱岐市勝本町東触2668番地3