柴田元幸[バナナ日和 vol. 6]
貧乏つながり

バナナ日和

 毎月、猿が仲間に「ここにバナナがあるぞー」と知らせるみたいな感じに、英語で書かれた本について書きます。新刊には限定せず、とにかくまだ翻訳のない、面白い本を紹介できればと。

今月の本
Paul Auster, Burning Boy: The Life and Work of Stephen Crane (Macmillan, 2021)

Paul Auster, Burning Boy: The Life and Work of Stephen Crane (Macmillan, 2021)

 ポール・オースターの最新作である。小説ではなく、評伝である。本文だけで730ページに及ぶ、28歳の若さで世を去った作家スティーヴン・クレインの生涯と作品を論じた評伝。それは次のように始まる。

Born on the Day of the Dead and dead five months before his twenty-ninth birthday, Stephen Crane lived five months and five days into the twentieth century, undone by tuberculosis before he had a chance to drive an automobile or see an airplane, to watch a film projected on a large screen or listen to a radio, a figure from the horse-and-buggy world who missed out on the future that was awaiting his peers, not just the construction of those miraculous machines and inventions but the horrors of the age as well, including the destruction of tens of millions of lives in two world wars. His contemporaries were Henri Matisse (twenty-two months older than he was), Vladimir Lenin (seventeen months older), Marcel Proust (four months older), and such American writers as W. E. B. Du Bois, Theodore Dreiser, Willa Cather, Gertrude Stein, Sherwood Anderson, and Robert Frost, all of whom carried on well into the new century. But Crane’s work, which shunned the traditions of nearly everything that had come before him, was so radical for its time that he can be regarded now as the first American modernist, the man most responsible for changing the way we see the world through the lens of the written word.
 死者の日に生まれ、29歳の誕生日の5か月前に死んだスティーヴン・クレインは20世紀を5か月と5日生き、自動車を運転したり飛行機を見たりする機会も、映画が大きなスクリーンに映し出されるのを観たりラジオを聴いたりする機会もないまま結核に屈した。馬車の世界にとどまり、自分の同胞たちを待っていた未来を知らずに終わった人物。知らずに終わったのは、奇跡の機械や発明品の到来だけではない。二度の世界大戦で数千万の命が失われたことを始めとするさまざまな惨事もクレインは知らずに終わった。同時代人には、22か月年上のアンリ・マティス、17か月上のヴラジーミル・レーニン、4か月上のマルセル・プルースト、そしてアメリカの作家ではW・E・B・デュボイス、シオドア・ドライサー、ウィラ・キャザー、ガートルード・スタイン、シャーウッド・アンダソン、ロバート・フロストらがいて、その全員が新世紀に入って長年生きつづけた。だがクレインの作品は、それまでの伝統のほとんどすべてを退けていた。その時代にあってはきわめて斬新であり、彼こそアメリカ初のモダニストだと言って過言ではない。クレインこそ、誰にも増して、書かれた言葉のレンズを通して私たちが世界を見る、その見方を変えた張本人なのだ。

〔注:the Day of the Dead(死者の日)はここでは11月1日/クレインは1900年に歿し、20世紀は「公式」には1901年から始まるが、ここでのオースターのように、20世紀を1900年から、21世紀を2000年から始まると考える人は少なくない/ちなみに「同時代人」を日本にも広げれば、クレインと同じ1871年生まれには田山花袋、島村抱月、国木田独歩がいる〕

 ジャック・ロンドンもわずか40年の生涯でよくまあこれだけ書きこれだけ生きたものだと思わされるが、ロンドンの場合は体も大変丈夫そうなので、まあいちおう納得できはする。それに対し、スティーヴン・クレインは瘦せっぽちでおよそ屈強には見えず、しかも、かなりの富を享受したロンドンとは違い、つねに借金と病気を抱えて、時には警察にも追われ、もっとずっと狂おしい日々を生きた。出版社がつかず自費出版した初の中篇『マギー 街の女』(Maggie: A Girl of the Streets, 1893)は一部の慧眼の読者以外からは酷評もしくは無視された。『赤い勇気の勲章』(The Red Badge of Courage, 1895, 日本では藤井光氏が2019年に新訳を発表)は大成功を収めたが、何しろ金にうとくものすごく不利な契約をくり返し出版社と結んだため、この本に限らず印税収入はろくになかった。街なかで客引きをしていたとして逮捕された女性を擁護して裁判沙汰に巻き込まれ(というか、進んで自分を巻き込み)、それまで彼の文才を買っていた警察署長(のちの合衆国大統領シオドア・ローズヴェルト)に睨まれ、ニューヨークを去らざるをえなくなった。従軍記者としてキューバに赴くも、途上で船が沈没し、ほか3人とともにボートで30時間海上に漂っていた(このときの体験が名短篇「オープン・ボート」に結実)。戦場に行くと誰より勇敢で、兵士でもないのに危険な任務を買って出て軍人たちの敬意を獲得した。やがて、自由奔放さにおいて彼に劣らぬ既婚女性コーラ・テイラーと出会い、コーラが離婚できずアメリカでは夫婦として暮らせないこともあってイギリスに渡り、ジョゼフ・コンラッド、ヘンリー・ジェームズ、H・G・ウェルズらと交友するが、借金はますます膨らみ、健康はますます損なわれ、1900年、療養先のドイツのサナトリウムで亡くなり、コンラッドやジェームズを深く悲しませた。……といった壮絶な人生の中、10年足らずの作家生活で残した文章は全集10巻に及ぶ。

 初めから死に急いでいたとしか言いようがない人生と、そのあわただしさの中で書いたいくつもの傑作をめぐって、オースターはいつもの、どんな出来事の中にも物語をごく自然に見出す才を発揮して、まさに副題どおり、クレインのLifeとWork両方をあざやかに描き出す。クレインがどういう人間でどういう人生を生きたか、あたかも詳しい内面描写を伴う小説を読んだかのように実感として染み込んでくるし、作品一つひとつの何がすごいか、説得的に明かしていくその手腕も見事である。『赤い勇気の勲章』や短篇「青いホテル」のような傑作を雄弁に論じるのはもちろん(特に、実際に海で漂流した苛酷な体験と、それを元にした作品「オープン・ボート」の両方を詳しく吟味するくだりでは、まさにLifeとWorkのつながりもくっきり浮かび上がる)、それだけでなく、ジャーナリストとして新聞に寄稿してそのまま消えていき、かろうじて全集にだけは収められたような作品からも、その独自の価値を引き出してみせるところが素晴らしい。

 たとえば、イギリスに渡って、ロンドンからグラスゴーへの急行列車「スコッチ・エクスプレス」に乗った体験をレポートするよう求められてクレインが書いた文章を、オースターはまる4ページを割いて論じる。

No assignment could have sounded duller than this one, which in contemporary terms would have been the equivalent of being asked to cover the ho-hum trip from Boston to Washington on the Amtrak Acela. And not just in a few paragraphs but stretched out over five thousand words, or twelve tightly printed book pages. A question immediately springs to mind: How could anyone possibly write so much about so little without putting the reader to sleep? We therefore tiptoe into the article warily, girding ourselves against our low expectations, but after some introductory remarks about the imposing, rather bombastic architecture of Euston Station, the streams of travelers descending from hansom cabs outside the building and the activities of the porters inside it, we begin to understand that this is the prelude to a documentary film about the elaborate process of transporting hundreds of people from one distant city to another. It is not the story of a travel writer’s trip to Glasgow, it is the story of the train, the charging steel monster known as the Scotch Express, and not once from beginning to end does Crane use the word I. Nor do we see him board the train or see him sitting in his compartment as the train heads for Scotland, moving “from the home of one accent to the home of another accent . . . from manner to manner, from habit to habit.” As he was in most of his earlier New York sketches, Crane is invisible. Even more radically, however, all the other passengers are invisible here as well. The train is the protagonist, and the only people we see on the train are the man who is driving it and the man who feeds the fire that propels it forward.
 これほど退屈そうな執筆依頼もちょっとなさそうである。今日でいえば、アムトラック・アセラでボストンからワシントンまで行った退屈な旅をレポートせよ、と言われるようなものだろう。それも、数段落で済む話ではない。5000語以上(日本語なら400字30枚以上という感じ)、本に収めればぎっしり12ページ以上なのだ。ただちに問いが頭に浮かぶ。そんな些細なことについてそんなにたくさん書いて、どうやって読者を眠らせずに済むのか? かくして我々は用心深く、忍び足で記事に入っていき、期待を持たぬよう自らに言い聞かせるが、まず導入部の、ユーストン駅の堂々とした、いささか大仰ですらある建築や、駅の外の辻馬車から降りてくる旅行者たちの流れや、駅構内でのポーターたちの動きを描いた部分を読むと、これがいわば、何百人もの人々をひとつの遠い街からもうひとつの遠い街へ運ぶ込み入ったプロセスをめぐるドキュメンタリー映画の序章なのだということが徐々に見えてくる。これは一人のトラベルライターがグラスゴーに行った話ではない。これは汽車の物語、スコッチ・エクスプレスの名で知られる突進する鋼鉄の怪物をめぐる物語なのであり、始めから終わりまでクレインは一度として「私」という言葉を使わない。彼が乗車する姿を我々は見ないし、列車がスコットランドに向かい、「ひとつの訛りの故郷から別の訛りの故郷へ(……)風俗から風俗へ、習慣から習慣へ」移行していくなか、彼がコンパートメントに座っている姿も見ない。かつてのニューヨーク・スケッチの大半と同じで、クレインはどこにも見えない。だがもっとすごいことに、ここではほかの乗客もいっさい見えない。汽車こそが主役であり、乗っている人間で私たちが目にするのは、この列車を操っている男と、列車を衝き動かす火に燃料をくべる男だけだ。

 レポーターはむろん、乗客もいっさい出てこない汽車の物語であることの斬新さがこうして語られたのち、やがて話は、機械と、それを動かす人間との相互依存をめぐる心動かされる物語に発展し、そして最終的には、多くの人間の命を預かる一人の操縦士の禁欲的な姿に収斂していく。あるときにはオースターが自分の言葉でまとめ、あるときにはクレインに語らせることを通して、クレインがほとんどその場の勢いで書いたような文章から、彼の作家としての変遷のなかでこの小品がどのような意味を持つのか、大きな流れの中のどこに位置してどう流れを変えるのに貢献しているのか、オースターは明快に描き出す。こういう箇所を読むと、この本全体が、文章をよりよく読むための最良の教科書であることがよくわかる。

 ちなみに、オンラインの講演で、あなた自身と、クレインとの共通点は?と訊かれて、オースターが挙げたことのひとつは、「二人とも若いころ貧乏だった」。幸い、いまはもうオースター氏は貧乏ではないし、28歳で夭折もしなかった。本当によかったです。

 

最新情報

〈刊行〉
MONKEY25号「湿地の一ダース」発売中。

MONKEY英語版第2号「Travel」発売中。

ポール・オースター文、タダジュン絵、柴田訳『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』(スイッチ・パブリッシング)発売中。

マシュー・シャープ、柴田訳『戦時の愛』(スイッチ・パブリッシング)発売中。

バリー・ユアグロー、柴田訳『東京ゴースト・シティ』(新潮社)発売中。

スティーヴン・ミルハウザー、柴田訳『夜の声』(白水社)発売中。

エドワード・ゴーリー、柴田訳『鉄分強壮薬』(河出書房新社)11月29日刊行予定。

〈イベント〉

11月20日(土)午後2時~3時、手紙社主催毎月恒例オンライン朗読会「いま、これ訳しています」第19回。詳細はこちら

〈配信〉

コロナ時代の銀河 朗読劇「銀河鉄道の夜」 河合宏樹・古川日出男・管啓次郎・小島ケイタニーラブ・北村恵・柴田

《新日本フィル》朗読と音楽 ダイベック「ヴィヴァルディ」 朗読:柴田 演奏:深谷まり&ビルマン聡平

ハラペーニョ「謎」朗読音楽映像 ウォルター・デ・ラ・メア「謎」/ハラペーニョ=朝岡英輔・伊藤豊・きたしまたくや・小島ケイタニーラブ・柴田

〈その他〉
ジェームズ・ロバートソン超短篇「ある夜、図書館で」手書き拙訳稿の入ったトートバッグ をignition galleryで販売中。

バリー・ユアグロー超短篇「旅のなごり」手書き拙訳稿を包装紙にしたサンドイッチを、三軒茶屋のカフェnicolasで販売中

朝日新聞金曜夕刊にジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』新訳連載中

〈スイッチ・オンラインストア特典〉
今号の購入者特典は近藤聡乃による
「表紙イラストレーションポストカード」に加え、
湿地の一ダースに掲載されている11作品を解説した
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MONKEY vol. 25
特集 湿地の一ダース
1,320円(税込)
WEB特典:
ISBN:9784884185695
2021年10月15日刊行