現在、好評発売中のポール・オースター作『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』。1990年に書かれた短篇小説が、雑誌『MONKEY』編集長・柴田元幸による翻訳と、イラストレーターのタダジュンの絵によって一冊の絵本になりました。ここでは10月23日におこなわれた刊行記念イベントより柴田元幸とタダジュンの対談の一部を抜粋し、本作のために描き下ろされた17点の版画絵の創作背景に迫ります。
柴田 『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を絵本にしようという話が編集会議で出た時に、僕はもう、絵を描いてもらうのはタダさんしか考えられなかった。
タダ 光栄です。すごく大好きな映画のお話だったので、最初はびっくりして。もう20年くらい前ですかね。その日、めずらしくいい絵が描けた日だったので気分が良くて、そのまま「今日は映画でも観に行こうかな」と思って、偶然恵比寿のガーデンシネマでやっていたこの映画を観に行きました[1]。最後のシーンにも感動して、とても思い出に残っている映画だったんです。まさかその時、20年後にこの絵を描くとは思いもよらなかったです。
[1] 1995年、映画『スモーク』公開。『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を原作に、ウェイン・ワン監督、ポール・オースター脚本によって制作された。
柴田 じゃあこの作品に触れたのは、映画が最初だった?
タダ そうです。まだその時は全然ポール・オースターさんのこともわかっていなくて、このお話が元になって映画になったということも知りませんでした。
柴田 なるほど。そうすると、タダさんがまず最初に触れたオーギー・レンは、映画でこの役を演じたハーヴェイ・カイテルの顔をしていたわけだ。
タダ そうなんです。
柴田 それは版画を作るにあたって、どれくらい影響するものなんですか。
タダ この映画が好きすぎてすごく影響を受けてしまうので、途中から怖くなってあまり観られなくなってしまいました。本を作るにあたって、この映画に近づけたり、超えたりしなければ、と考えると怖くなって描けなくなってしまうので、いったん忘れようと思って。それで違う映画を参考にしたんです。
柴田 違う映画?
タダ ジム・ジャームッシュのモノクロ映画です。ジム・ジャームッシュだったらこのお話をどう撮るかなという感じで、あのモノクロの映像のざらついた雰囲気が出るように参考にしました。
柴田 ジム・ジャームッシュのどの映画ですか?
タダ 一番観たのが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』。
柴田 日本では事実上のデビュー作ですね。作品を作られる時は、もちろん自分の頭の中から湧いてくるものが一番大きいだろうけれど、そういうふうに何か他の映像作品やインスパイアされるようなものに自分を晒すことって多いんですか。
タダ 絵を描く時にはいつも2種類の資料を集めます。作品に関する具体的な資料と、特に誰の作品か決めずに目にとまった昔の画集のような、インスピレーションを与えてくれる資料。それぞれのいいところを吸収するように描いています。
柴田 タダさんにはこれまでも、『MONKEY』や『Coyote』、単行本でもずいぶんいろいろ作品を描いていただいていて、すっかりお世話になっているんですが、その一つに『Coyote』で連載して単行本化したヘミングウェイの『こころ朗らなれ、誰もみな』があります。これも、この表紙抜きでは考えられない。というかもう僕の中でヘミングウェイとタダジュンは完全にセットになっているんです。
タダ 緊張したけれど、すごくやりがいのある楽しい仕事でした。
柴田 ギャングとかを描くの、すごく向いていると思います。殺し屋とか(笑)。
タダ そうですね(笑)。自分で怖くしようと思って描いているわけじゃないんですけど、普通に描いていても怖いと言われちゃうことが多くて。
柴田 実際にタダさんご本人が怖い人と思われることは多くないですか? 会うと拍子抜けしたとか言われない?
タダ 言われます(笑)。ハーレーに乗っている印象だったとか。革ジャン着てそうとか。ハーレーに乗ったことも、革ジャンを着たこともないです。
柴田 そうですか(笑)。この『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』は表紙だけではなくて、中にもふんだんに絵があります。これは銅版画ですよね。
タダ 今回は全部銅版画で絵を描きました。銅版画の中でも「ドライポイント」といって、版に直接ニードルでガリガリ描いていく、腐食をさせずに描く技法です。
柴田 彫る時はどんな音がするんですか。
タダ 結構ガリガリガリガリッとうるさいので、夜中は音が出ないところを描きます。響いてしまうので。
柴田 これって何枚も刷れるものなんですか?
タダ はい、何枚も刷れるんですが、ドライポイントというのは版をニードルで彫って、腐食させずに描くので、銅がニードルでめくれるというか、バリみたいなものが立ちます。それをプレス機にかけていくと、その出っ張っているところがだんだん凹んできてしまうんです。潰れてくると、仕上がった絵の滲んでいるような部分が滲まなくなってきてしまう。だから僕の場合は、ドライポイントでやると1枚目が一番きれいですかね。
柴田 滲んだ感じがタダジュンらしさにつながる。
タダ そうですね。今回のお話も噓か本当かわからない曖昧さ、狭間の部分を描きたかったので、ぼやかしたところを結構入れて、夢の中のような雰囲気に描きました。
柴田 この作家のポールの絵(右)は、誰かモデルやインスピレーションを受けた人物はいるんですか?
タダ 最初は全然そういうつもりではなかったんですけど、段々『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の主人公みたいな雰囲気にはなってきている(笑)。
柴田 素人考えだと、この作家をポール・オースターに似せたいと誰でも考えると思うんですけど、それは一つの可能性としてはありましたか?
タダ それはなかったですね。同じ「ポール」という名前でも、ここではポール・オースターとは違う人物にしたいと思って。特にイメージして描いたということはなかったです。
タダ 次にこの絵は、黒いところはドライポイントなんですけど、写真の部分だけは普通のエッチング、腐食で彫っている感じです。
柴田 このページ、僕はすごく好きです。
タダ このページは苦労するかなと思っていたんですけど、意外と苦労すると思っていたページの方が一発でうまくいって。深い腐食だったのでインクが抜けちゃったんですけど、でもそこを修正しようとしたら、妻にそれはそのままの方がおもしろいと言ってもらったので、修正せずに本当に刷ったままを絵にしました。
柴田 簡単に言うと映画みたいというか、夢の中で見た映画のスチールみたいな感じがして。素晴らしいと思いました。
タダ 本のカバーを外していただくと、本の本体に同じ絵がネガみたいにプリントされています。ぜひカバーを外して見ていただけたら嬉しいです。本の大きさもデザイナーの宮古さんと一緒にいろいろと考えて、宝物みたいに手に収まるか収まらないかくらいの、小さめのかわいいサイズを選びました。
柴田 このカバーでは赤の文字を使っていて、本体表紙でも背表紙に赤の字を使っているんだけれども、緑を使わないのがいいなと思いました。それは意識なさいましたか?
タダ その色の部分はデザイナーの宮古さんにお任せでやっていただいて。
柴田 クリスマスの本というとみんな緑と赤じゃないですか。あれはあれで、自分でもいいなとつい思ってしまう好きな色なんですけど、そこから少しずれるような。『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』は、さっきもおっしゃいましたけど噓か本当かわからない、ストーリーってなんだろう? と考えさせるような、ジャンルそのものを問うような話です。
タダ 文章を読ませていただいた時に、映画を観た時と少し印象が変わりました。映画を観た時は自分が若かったからかもしれないですが、文章を読んだ時はちょっと心がざわついて、ただただ温かいお話というわけではない、少し不安、不穏というか、光と闇、正義と悪、どっちともつかないし、どっちでもあるような、本当に狭間を描いている物語なんだなと。その曖昧さがこの物語の魅力なのかなと思いました。
柴田 いまお話をうかがっていて、この『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の絵をお願いするのはタダさんしかいないなと思ったのは、その辺りに繫がりがあるんだなと強く思いました。光と闇という言い方をされましたけど、暴力性とユーモアみたいなものがタダジュンのアートにも常に両方ある。それこそヘミングウェイの「殺し屋たち」に描いていただいた絵にしても、殺し屋の暴力的な感じが生々しく出ているんだけれども、一方でどこか子どもが変装しているようなところがあるというか。
タダ いつも絵からユーモアみたいなものは出るといいなと思っていて、このお話もちょっと奇妙な感じを受けるというか……。奇妙な優しさとか、奇妙な温かさ、奇妙なかわいさが表現できたらいいなと思っていました。
柴田 そのかわいさとかユーモアとかが、人物がかわいい仕草をしているとか、かわいい表情をしているとか、そういうふうにはなっていないで、全体の雰囲気から漂ってくる。
タダ はい。ただ実は今回、それでもなんとなく温かい話の雰囲気を出すために、なるべく登場人物の口を全体的にちょっとだけ微笑ませたんです。困っているシーンはどうしてもへの字なんですけど、他はほんのちょっとだけ笑顔にしているというか。
柴田 なるほど。例えばこことか。そう言われると口元が優しいですね。
タダ そういうところで温かさを感じるか感じないかわからないですけど。
柴田 ほとんどサブリミナルで感じさせるみたいな。
タダ そうですね。この犬もちょっとだけ笑わせて。
柴田 わあ、しっかり笑ってますね。
タダ この喫茶店の女の人も最初は笑っていなかったんですけど、ちょっとだけ口角をくいっとさせました。
『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』
1,870円 (うち税 170円)