1月21日、メゾン ミハラヤスヒロ2022-2023AWコレクションがフィジカルでのランウェイ映像にて発表された。今回のランウェイを一言で形容するならば、“祝祭”であろう。
会場は浅草、雷門と六区興業街を結ぶ商店街の「すしや通り」。80年余りの歴史を持つこの商店街を舞台に、総勢80名のモデルがメゾン ミハラヤスヒロの新作コレクションを纏って登場した。スカバンドによる生演奏、浅草で活動する舞妓やメイド喫茶の従業員によるケータリングの配布、フィナーレで撒かれた大量の紙吹雪など、PCやスマートフォンの画面越しでは決して体感できない、フィジカルならではの魅力が詰め込まれたショーであった。
3シーズンぶりのランウェイに込められた思いとはどんなものだったのだろうか。
デザイナーの三原康裕に話を訊いた。
40代最後のコレクションに込めた思い
—— 2021年SSのパリコレクションから映像配信での参加を余儀なくされ、今回2022-23年AWでようやくフィジカルのランウェイを実現されました。今回、東京でショーを行うに至った経緯はどのようなものだったのでしょうか?
「今年こそはパリでショーをしたいと思ってました。2021年S Sからの3シーズン、映像配信で参加したことで、映像を作ることへの面白さを感じるようになっていましたが、一方で映像だけでは、ひとつのコレクションをやり切ったという達成感がない。そのことがストレスにもなっていました。実は、僕は今年で50歳になるんです。40代最後のコレクションはしっかりとしたフィジカルのショーをして、達成感を得たいと思っていました」
—— 40代最後を目前に、ひとつの大きな区切りとしてフィジカルなショーをされたかったということですね。
「そうですね。あと、最近僕が活動を始めた90年代のことをよく考えるようになったのも大きな理由のひとつです。あの頃はまだファッションそのものが成熟していなくて、遊びの延長線上として気軽に楽しめていました。自由にファッションを楽しむ空気があったんです。ショーにおいても90年代は自由な雰囲気で、文化的にも開かれた場所でした。日本でショーを行うなら、そんなふうに開かれた場所で誰でも見られるようにしたいという思いがありました」
東京の下町という「聖域(サンクチュアリ)」
—— 公共性の高い場所として、今回は商店街を選ばれました。商店街でショーを行うことに決めたのはなぜでしょうか。
「東京で場所を探している時、友人が主催していた商店街での音楽イベントを思い出したんです。会場に熱気が満ちていてとても楽しかった。それが、今回のショーで自分が思い描いているイメージに近いと思い商店街を探し始めました。その音楽イベントを主催していた知人を経由して、紹介してもらったのが浅草のすしや通りにある『十和田』という蕎麦屋の女将さんでした。女将さんをはじめ、地域住民の方々の文化に対する理解度が非常に高く、この企画を面白がって歓迎してくれました」
—— 商店街でショーを行うという発想にみなさん共感してくださったということですね。
「浅草は演芸の街でもあるし、理解してくださる方は多かったように思います。僕自身、舞台演劇や音楽が大好きで、単純にモデルを見せるだけのショーにはしたくないと思い、様々な演出を加えました。モデルを見せるだけなら映像でも十分できます。フィジカルでショーをするのであれば、見ている人に徹底的に楽しんでほしい。音楽にもこだわって、スカバンドのスカフレイムスの生演奏やロックバンド・浅草ジンタにはフィナーレを飾ってもらいました。すしや通り商店街の飲食店にはケータリングを手配してもらい、あとは僕が警察官になって乱入する小芝居とか……」
—— 警察の変装をした三原さんがパトカーで乱入する一場面ですね。本物の警察が取り締まりに来たんじゃないかと、会場の空気が一瞬張り詰めました。
「もちろん警察の許可は事前に得ていて、僕とエキストラで演じました。昔は何の許可も取らずに路上でショーやイベントを行っていたけれど、今は完全にアウトです。SNS上の発言や行動にも責任がつきまとう。けれど、心のどこかでハプニング的な要素を求めているというか、禁止事項ばかりで息苦しい世の中になってしまったことへのアンチテーゼとして表現したかったんです」
若かりし頃の三原康裕がパリで見た世界と、今、子どもたちに見せる世界
—— ハプニングといえば、通行人がランウェイに混ざりこんでモデルと一緒に歩いていたり、通りがかった人がド派手な演出に目を奪われたりしているのが新鮮で面白かったです。
「予測できない事態になっていくのが面白かったですね。あとは子どもたちが見にきてくれたのが嬉しくて。リハをたまたま見かけて、本番を見るためにまた戻ってきた子もいましたね」
—— 子どもたちが目を輝かせながらショーを見ていたのが印象的でした。彼らのなかに強烈な記憶として植えつけられたのではないかと思いました。
「そうであって欲しいよね。僕が20代で初めてヨーロッパに行った時、心のどこかではまだ『ファッションなんて』と思っていました。ファッションを知りたくて行ったわけじゃなくて、テクノやアンビエント音楽が好きで行ったんです。自分で作った打ち込みの音楽をカセットテープに焼いて、イギリスのレーベルに持ち込んだりしていました。その流れでパリに行った時、通りがかったルーブル美術館の地下でショーをやっていて。インビテーションもなくて、立ち見で覗いていたんだけど、物凄い熱量が今でも記憶に残っている。当時20代前半の僕でもそう思ったんだから、子どもたちなんてもっと刺激になるでしょう。今回のショーを見て、ファッションに対する憧れみたいなものを抱いてもらえたらいいなと思います。」
《三原康裕 プロフィール》
1972年長崎県生まれ。多摩美術大学テキスタイル科を卒業後、独学で靴づくりを始める。1996年にミハラヤスヒロを立ち上げる。2005-2006年秋冬からミラノコレクション、2007-2008年秋冬からパリ・メンズコレクションに参加。2016年秋冬コレクションよりメゾン ミハラヤスヒロにブランド名を改めた。