世界を旅しながらサーフィンというスポーツをライフストーリーに変えてきた男、ジェリー・ロペス。なぜ彼はレジェンドとして長く憧れの存在であり続けるのだろうか、COYOTEは彼の魅力を伝えるべく数多くの取材を敢行してきた。彼を追ったドキュメンタリー映画『ジェリー・ロペスの陰と陽』がパタゴニア・フィルムズより今年8月に公開される。公開に先駆け、これまでCOYOTEの取材で語ってくれた珠玉の言葉をここに掲載する。波に乗る、ジェリー・ロペスの魅力的な生き方を考えてみたい。
協力=パタゴニア日本支社
サーフィンの黄金時代
サーフボードに乗ったことがなくとも、ジェリー・ロペスの名前をご存知の方は多いのではないだろうか。「ミスター・パイプライン」と呼ばれるジェリー・ロペスは、サーフィンを新たなステージに導いた歴代で最も影響力のあるサーファーであり、サーフボードシェイパーだ。また、サーフビジネスの先駆者であり、映画スターでもあり、家庭的な男性、文筆家、そして終生のヨギという多彩な顔を持つ。
ジェリーは行動の人だった。60年代後期からのサーフィンにおける大きな転機となるシーンには、必ずと言っていいほどジェリーの存在があった。ショートボード・レボリューション、サーフィンの最高峰の大会とされるパイプマスターズでの連続優勝、サーフィンの世界的なビジネス展開、インドネシアへのサーフトリップ、マウイ島で勃興したウィンドサーフィン、ハワイにおけるパドルボーディング復権、スノーボード黎明期、そしてジョーズでのトウインサーフィン。さらにはスタンドアップ・パドルボードを用いたダウンウィンドといった、現代のサーフィンに通じる各時代のムーブメントに貢献してきた。
1967年、ジェリーがオアフ島パイプラインのビッグウェーブにショートボードで挑み、チューブライディングをマスターしたことは、その後のサーフィンを大きく変えることになる。ショートボードの出現は、波に乗るスタイルだけでなく、サーフィンに対する意識の変化を生み出したことで革新的な出来事となった。
「サーフィンのスタイルは、いつの時代もサーフボードの進化と密接な関係を持っていました。50〜60年代においていろいろな開発がなされ、波に押されて直進するだけだったサーフィンの動性は驚くほど広がった。毎日新しいアイデアを試してはまた改良する。裏庭で自分や友人たちのために最高の板を作ろうと心を込めて作った一本一本が試作であり、最新作でした。今でもそのスタイルは基本的には変わらない」
過去にCoyoteの取材で、ジェリーはそのように答えている。ボードが大きくて長く、重くて扱いにくかった以前に比べ、サーファーとサーフボードと波の距離はグッと近づいた。明らかに、昔のロングボードは、波と一体になるということは難しかったのだ。サーファー達のスキルが高まると共に、サーフボードのデザインや性能がますます良くなり、結果、サーフィンのレベルも上がっていった。
60年代はサーフィンの世界だけでなく、社会的にも大きな変化を迎えていた時代だった。ヒッピーやフラワーパワー、サイケデリックロック、マリファナ、LSDといった新しい価値観が若者世代に広がっていくとともに、ヨガもそれらの新しい思想に見事に調和していった。ジェリー・ロペスがヨガと出会ったのは1967年、パイプラインでビッグウェーブに挑んでいた19歳の頃だった。ヨガの哲学を学びながら、サーフィンにおいて勝ち負け以上に大切なものを得ていった。ジェリーは当時を次のように振り返る。
「ヨガとサーフィンには共に響きあうものがありました。アーサナというヨガのポーズや呼吸法は、サーフィンのパドリングにとって、理想的なエクササイズだったのです。当時サーフィンは僕の生活の大部分を占めるようになっていました。何かが起きている時に、その何かに気がつくのは難しいものです。たいていは長い年月が経ってから、苦悩や挫折を乗り越えた頃に、変化の過程は必然的なものだと気がつくのです。全ては決まっていて、好むと好まざるとに関わらず、物事は起こっていました。その頃の僕は変化に気がついていなかったのです。いつのまにか、潮に流されて沖合にいたかのように、自分が変わっていたのです」