なぜ冒険家は険しい山をより困難な方法で登るのか、その理由が富や名声でなければ尚のことだろう。ソロアルピニスト、マーク・アンドレ・ルクレールのドキュメンタリー『アルピニスト』が本邦初公開された。この映画の監督を務めたニック・ローゼンの話と、偉大な功績を残した若きアルピニストの生き様からクライミングという行為の本質について考えたい。
フリークライミングの系譜
20年以上にわたって、登山を中心に数々のアウトドアのドキュメンタリーを世に送り出してきたセンダーズ・フィルムス。クライミングに特化した映画祭「The Reel Rock Film Tour」を毎年世界中で開催するなど、映像を通じてクライミング界の最先端の物語を伝え続けてきた。そして今回、満を持して劇場公開された作品が『アルピニスト』だ。本編の内容の前に、まずセンダーズ・フィルムスがどのような作品を世に送り出してきたのかを触れておきたい。
センダーズ・フィルムスの創設者のピーター・モーティマーは、これまで数々のレジェンドクライマーに密着したドキュメンタリーを発表してきた。2007年には、クライミングの限界グレードを押し上げたクリス・シャーマのクライミングを記録した『KING LINES』を制作。2017年には、現代のビッグウォールクライミングの最先端にいるトミー・コールドウェルの半生とヨセミテでの挑戦を追った『THE DAWN WALL』でクライミング界を大いに沸かせた。
本作『アルピニスト』は、ピーターの右腕として数々のドキュメンタリーを手掛けてきたニック・ローゼンが共同監督を務めており、二人の共同作品として名高いのが、ヨセミテで活躍したクライマーたちの挑戦の歴史を追った、2014年公開の『Valley Uprising』だ。エミー賞を受賞したこの作品は、1950年代のヨセミテの黎明期からクライミングがいかに進歩してきたか、それは同時に、生身の人間がどのようにして不可能を克服してきたのかを示してくれる傑作ドキュメンタリーだ。当時の貴重なフィルムや映像資料と各時代のレジェンドクライマーたちへのインタビューを織り交ぜながら、過去から現在へと物語を繋いでいく。
今回、ドキュメンタリーの制作の舞台裏についてニック・ローゼンに話を訊くことができた。
旧知の仲だったピーターとニックは、若い頃からクライミングに情熱を注いできた。その情熱は次第に自分たちのクライミングに対してではなく、山の世界で起きている他者の物語を伝えていく方へと向けられていったという。誰に見られることもなく、辺境の地でひっそりと行われてきた冒険的なクライミングをなぜ映像化しようと思ったのだろうか、その理由を訊ねると「クライミングは映画の題材に適しているからだ」とニックは言う。
「挑戦の旅に出た人がその途中で試練に直面し、それを乗り越えることで成長した新しい自分になって帰ってくるという、いわゆる“主人公の旅”が当てはまる。またクライマーの多くが、富や名声のためではなく、登ることが純粋に好きで、自分自身に挑戦したいと思っている“情熱のある弱者”であると我々は考えています。そういう人たちこそ、映画の中で素晴らしい登場人物になるのです」
『Valley Uprising』において、現代のクライミング界をリードする“主人公”としてフィーチャーされたのがアレックス・オノルドだ。クライミング界の奇才がいかにして誕生したのか、その背景には歴代の偉大なクライマーたちの挑戦と美学が綿々と受け継がれていることが映画の中で丁寧に伝えられていく。クライミングのスタイルがどう変わっていったのか、『Valley Uprising』の内容を元に少し触れておきたい。
登山の黎明期において、人類がいかにして山を攻略するかが優先されてきた時代があった。ヨセミテの岩壁においても、無数のボルトを埋め込み、アブミなどの道具に頼って登る人工登攀が積極的に行われてきたが、やがてパタゴニアの創設者として知られるイヴォン・シュイナードらが提唱した“クリーンクライミング”運動によって、できる限り岩を傷つけずに登るスタイルが尊重されるようになり、岩の割れ目やホールドに沿って手足だけで登り、身の安全を確保するためだけにザイルなどの道具を使う登攀、“フリークライミング”が発展していく。こうして「いかにシンプルに、美しく登るか」がクライマーの命題となっていった。
その極致として登場したのが“フリーソロ”というスタイルだ。単独で、道具も一切使わずに己の手足だけを頼りに大岩壁を登る、まさに死と隣り合わせの究極のクライミングスタイル。フリーソロをやるクライマーは全体から見ればほんの一握りだが、フリーソロで名を馳せたクライマーの滑落死も少なくない。デレク・ハーシーやディーン・ポッターといった、フリーソロのジャンルを切り拓いてこの世を去った先人たちの薫陶を受けたアレックスは、2007年からヨセミテを中心にフリーソロで数々の偉業を成し遂げ、2017年には標高975mのエル・キャピタンの「フリーライダー」ルートをフリーソロで初登頂し、クライミングの限界を異次元の領域へと押し上げた。