FROM EDITORS「今いちどの唄」

この9月スイッチ地下のRainy Day Bookstore & Cafeで行われる予定の宮古島の唄者與那城美和さんのライブが彼女の体調の都合で延期になった。與那城美和さんの唄をはじめて聴いたのは昨年の12月だった。コントラバス奏者の松永誠剛さんと美和さんの“Myahk Song Book”というユニットで宮古島の民謡を披露してくれた。潮で洗われ風に身を任せ、時間を重ねることでしなやかに作り出される美和さんの声にただ聴き惚れた。

昨年12月宮古島を訪れた際に、美和さんの自主制作アルバム『宮古島を唄う』を購入した。その日から数日、宮古島は大雨が続いてアルバムを聴く時間はたっぷりとあった。アルバムの中の一曲「白鳥ぬぁーぐ」という無伴奏で唄う宮古島の民謡に魅かれた。

三線がまだ宮古島に入る三百年ほど前に、アカペラのスタイルで物語を伝える伝統的な唄、いわゆる古謡を美和さんは今に伝えていた。三線が入る前の厳粛で悲しい唄の言葉を忠実に伝える古謡というものをはじめて知った。美和さんは宮古民謡の踊り手だったおかあさんの影響で幼い頃から芸能の世界に親しんでいた。小学校4年生の時、「工工四」を覚え、母の唄を聴き、母の舞う宮古舞踊の美しさに触れた。三線で唄う宮古島の唄は一見明るくもその表現された世界は暗く悲しい、その悲しみに微笑みを堪えて唄っていく。美和さんはその闇をもっと知りたいと願い、唄だけという古謡独特の世界を学んでいく。

美和さんと夕食をともにする機会があった。おかあさんのことを訊いた。ライブで披露した一曲「この道」という北原白秋作詞山田耕筰作曲の童謡が印象に残っていた。この曲はおかあさんが好きでよく唄ってくれたと彼女は呟いた。そしてライブ前日に亡くなって当日の昼間は告別式だったことを話してくれた。万感の思いを込めてアカペラで唄った「この道」は母への想いを現わした唄だった。「だめですね、ちゃんと唄えなかった。母のように唄えなかった」

そう言うと、美和さんは携帯に録音したおかあさんの「この道」を聴かせてくれた。

病床にあってもその唄はのびやかで息をつかず、ずっと続く道を表現していた。アカシアの花も白い時計台もなく、その南の風景はハイビスカスやプルメリアの花が咲き乱れなにやら楽園のようであった。その透明な声はまるで鳥が鳴くように海に山の溶けていくのが見えた。

スイッチ編集長 新井敏記