貨物船でアフリカから動物を運ぶ仕事に従事した、今は85歳を超える方に出会った。動物園のために地の果てから生きた野生動物を運ぶ、彼は至上の貨物仕事だとかつての貨物船乗務に誇りを持っていた。老人の乗務した船は6000トン級の大きなもので、スエズ運河が出来る前、南アフリカのダーバンまでは片道2カ月近くかかっていた。
普通の貨物と違って生きた野生動物を無事に運搬するのは、容易なことではない。航路の悪天候によるスケジュールの変更もさることながら、それぞれに合った動物のエサの確保が何よりも難しく重要だったと彼は言う。そのエサも天候による遅れも計算に入れ3割増しの量を確保する。船上で動物が病気にならないために衛生面は徹底する。乗務にあたる船員のストレスも相当なものだったことは容易に想像できる。だからというわけか、動物運搬船の乗務員は他の貨物船の乗務員から一目置かれて、酒場でも喧嘩を売られることはなかった。
アフリカ航路の中、一番運搬が難しい野生動物はなにかと、彼に訊ねた。彼は間髪置かずに「アフリカゾウ」と答えた。「アジアゾウではなく、アフリカゾウだ」と彼は続けた。
アフリカゾウは耳介が大きく、成獣になると牙はオスでは3メートル以上、体長は7メートルを超え、現生する陸棲動物の中では最大種と言われている。日本の動物園は90を数えるが、そのうちアフリカゾウを飼育している動物園は14カ所、ちなみにアジアゾウは35カ所ある。動物園の数に比べての少なさは、運搬の難しさが何よりも要因としてあるのかもしれない。
昔、アフリカのボツワナに行ったことがある。ボツワナのオカバンゴ・デルタの氾濫原を、丸木舟を漕いでゆっくりと渡りながら野生動物の観察をする幸福な時間だった。中でも印象的だったのは、アフリカゾウの成獣数頭が2頭の幼獣を鼻で囲むようにしていた場面だ。そして長い鼻で葦など高く伸びた草をむしりとるように食べながら闊歩していく。その勇壮な姿に、オカバンゴ・デルタの頂点に君臨している野生動物はアフリカゾウであることを理解した。
乾季の時期だ。アンゴラに源を置くオカバンゴ川の、雨季に降った大量の水がボツワナに辿り着くのは5月以降となる。枯れた大地にいくつもの湿原が現れ、水辺を求めてヌーやシマウマなどの草食動物が集まり、それらの草食動物を狙うリカオンやハイエナが群れをなし、ライオンが遠くにいる。水場にはワニやカバが時々顔を出している。それら弱肉強食という生存をかけた戦いの世界も、アフリカゾウが現れると、なすすべもなく散り散りになって皆息をひそめている。丸木舟の前でアフリカゾウは雄叫びをあげながら堂々と湿原を渡っていく。闊歩した水の波紋が広がり、舟の縁にしがみついてなんとか僕はやり過ごすのに必死だった。
スイッチ編集長 新井敏記