TOWARD THE FUTURE
“創作の種”を植え、未来へと繋げていく

1998年に三宅一生により発表されたA-POCを、さらに発展させる形で活動を開始した「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」。素材への徹底したこだわりと、異業種のクリエイターとの協業が最大の魅力だ。今年10月には、指揮者の井上道義と同ブランドによる「TYPE-Ⅰ MM Project」を発表し、オーケストラと服の関係性を追求した。デザイナーの宮前義之が大切にし続けているクリエイションの本懐について訊いた。

映像内では、武満徹の《3つの映画音楽》より「ワルツ〜『他人の顔』より」と、伊福部昭の《日本狂誌曲》より第2楽章『祭』がオーケストラによって演奏されている。

 



指揮者の井上道義とA-POC ABLE ISSEY MIYAKE。国際的に活躍する彼が「TYPE-Ⅰ MM project」に込めた思いとは

 

指揮者の井上道義とA-POC ABLE ISSEY MIYAKEが共に取り組んだ「TYPE-I MM project」が三年半の時を超え、ついに発表された。音楽とファッションという異ジャンルの協業だが、井上はどのような心境で臨んだのだろうか。

「西欧から伝来した音楽芸術の結晶であるオーケストラですが、日本人の演奏力も上がり、西欧に引けを取らなくなっています。しかし、衣装に関して言えば女性はローブデコルテやフレアスカート、男性は伝統的な燕尾服やタキシードなど西洋的なもののままで、なんとなく借り物の文化のようで残念だと感じていました。そういった思いが募る中、イッセイ ミヤケさんからコラボレーションのお話をいただいたのです」

今回のプロジェクトのために制作された映像作品の中で、井上は武満徹と伊福部昭の楽曲を演奏している。日本人の作曲家を選んだ理由について、井上は試着の際に感じた“ある感覚”が影響していると語る。

「完成した服を試着した時、重厚感があるのに軽い着心地の生地に驚きました。その瞬間、近代的な音楽作品、特に邦楽の匂いのする作品が合うなと感じました。“洋”服ではあるのだけど、どこか深い部分で日本人として、我々の時代、我々の住む世界の“香り”を感じさせる服なのです」

そして、米の籾殻を原料にトリポーラスを練り込んでつくられた繊維素材「TYPE-I」へ思いを馳せ、こう締めくくった。

「トリポーラスを使ったこのシリーズは、日本人の根底にある稲作文化へも通じていると思います。今回の取り組みにより、音楽とファッションというカルチャーへの一つの答えとして、こうした映像作品を生み出すことができ、夢のようだと思っています」

井上道義 1946年東京都生まれ。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して以来、一躍内外の注目を集める。これまでにシカゴ響、ハンブルク響、ミュンヘン・フィルなど主要オーケストラの指揮を務める

 



A-POC ABLE ISSEY MIYAKEが世界的指揮者・井上道義と共に発表した「TYPE-Ⅰ MM project」。誕生の経緯をデザイナー宮前義之に訊いた

 

“一本の弦、一本の糸”

ジャカード織機の針の音。鳥のさえずり。アウフタクト。指揮棒が揺れ、美しいワルツが響き始める。井上道義氏とそのもとに集まった弦楽者たちが奏でるのは、武満徹の《3つの映画音楽》から「ワルツ〜『他人の顔』より」。ゆったりとした三拍子と優しい旋律に、自然のテクスチャと田園風景が重なり、やがて稲と籾殻、炭から黒い糸へとつながっていく。

インターミッション。お囃子の笛、あるいは拍子木のような音色。井上氏は全身で踊るように指揮をとり、オーケストラの呼吸はひとつになる。伊福部昭の《日本狂詩曲》より第2楽章『祭』という豊かな祝祭の曲にオーバーラップするのは、生地から始まる服づくりのプロセスだ。いくつもの人の手が動き、形をつくり、フィットを整える。そして迫力のフィナーレへ。

指揮者の井上道義氏とA-POC ABLE ISSEY MIYAKEとによるプロジェクトは、こうして命を吹き込まれ、あるいは大きな問いを投げかける。例えば、クラシックはいかにして継承すべきなのか。ユニフォームはどこまで自由になれるのか。美しさと心地よさのバランス。確かなことは、アンサンブルが一本の弦の震えから始まるように、一本の糸から衣服は生まれるということ。そして美しい音楽を奏でる指揮者とオーケストラのように、衣服をつくることができるということだ。
(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE 「TYPE-I MM project」コンセプトテキストより)

A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エイポック・エイブル・イッセイ・ミヤケ)が発表した「TYPE-I MM project」(タイプ・ワン・エムエム・プロジェクト)は、イッセイ ミヤケと世界的指揮者・井上道義による新プロジェクトだ。今回の発表に先駆けて、映像監督・山中有によるドキュメンタリー映像が2021年末に撮影されていた。

新素材との邂逅。音楽との融合

そもそも「TYPE-I」とは、ソニーグループが開発した新素材“トリポーラス”を練り込んだ糸を使用して制作した衣服を展開するという、A-POC ABLE ISSEY MIYAKE独自のプロダクトである。

トリポーラスとは、米の籾殻を原料とする天然由来の多孔質カーボン素材で、2ナノメートルのマイクロ孔、2〜50ナノメートルのメソ孔、約1マイクロメートルのマクロ孔が複合して存在するという構造を持っている。

従来のマイクロ孔主体の活性炭では吸着し辛かった大きな有機分子や菌等を吸着したり、メソ孔やマクロ孔が水や空気の通り道となることで素早く物質を吸着するといった特性を誇る。例えば、浄水フィルターに使用することで高い精度によるろ過が可能となり、衣服に使うことで消臭や抗菌の効果が見込める。

A-POC ABLE ISSEY MIYAKEのデザイナー・宮前義之がトリポーラスに着目したのは2019年のことだった。

「ソニーの北原隆之さん(※同社コミュニケーションデザイナー)からプレゼンを受けて興味が湧きました。実際にサンプルを制作して試用テストで半年ほど着用してみると、どれだけ洗濯を繰り返しても黒が色褪せないことに気がつきました」

炭素が持つ黒色という特性を生かし、従来の染色では実現しえなかった「特別な黒」の追求も目指している。

「黒しかないという、ある意味、衣服の素材としてはデメリットとも言えるカーボンブラックの特性を、むしろメリットに転化した。ブラックフォーマルというニーズに新たなスタイルを投じることができればと考えました」

井上道義との取り組みは、2022年8月に逝去した三宅一生が生前口にした一言がきっかけとなって生まれた。

「NHKで放送されていたクラシック番組を観ていた一生さんから『宮前君、素晴らしいよ』とお電話をいただいて。よく一生さんはそういったリコメンドをくださるのですが、その時、ふと『オーケストラのみなさんの服はもっと自由で動き易いものがあってもいいのにね』といったお話をされた。確かにみなさん凄まじい集中力と体力をはらわれているし、特に井上さんは全身を駆使して指揮を執られている。まるでダンサーのような運動量です。タキシードは動き易い服とは言い難い。そこから自分なりに発想をし始めると、追ってたまたま一生さんの言葉が関係者を通じて井上さんの耳に届いたそうで、そこから今回のプロジェクトへと繋がりました」

服の準備には半年を費やした。宮前は井上の公演に度々足を運び、井上や演奏家たちから意見を集い、服づくりのための課題を整理した。

「演奏家のみなさんに『演奏中、何かお困りのことはありませんか?』と意見を聞いて回りました。みなさん楽器のパートごとに使われる身体も問題点も全く異なる。特に井上さんは、腕の可動域はもちろん、ご自身がどの角度からどんなバランスで見えたらより美しく感じられるかを熟考され、細部に渡ってご意見をくださった。その結果、ジャケットはマオカラーを採用し、Tシャツでも指揮が可能になるよう、シャツやボウタイを着用しなくてもフォーマルに映える装いを心掛けました。ドキュメンタリー映像の制作も、『A-POC ABLEが世界に向けて発表できるように』という井上さんからのアイデアで実現しました」

映像収録で演奏された前述の武満徹と伊福部昭という2曲の選曲も井上の強い要望だった。

「井上さんの『俺はこの曲でやりたい』という言葉からは、確固とした意志が感じられました。日本人の精神を西洋楽器で表現する。そしてそこには、かつて日本人としてのアイデンティティと新しい精神を持って西洋の服を通して海外で認められた三宅一生さんへの共感と敬意が込められていました」

「リチウムイオン電池に使われる炭素材料を研究開発していく中で、籾殻由来の多孔質カーボン素材であるトリポーラスが生まれました。吸着性が高いこの素材は、糸に練り込むことで高い消臭・抗菌効果が見込めます。イッセイ ミヤケ社との協業によって、“ファッション”という新たな扉が開かれたと考えています」(ソニー知的財産サービス株式会社 トリポーラスチーム 事業開発マネジャー 山ノ井俊)

追い、究め、生む。届け、伝え、遺す

宮前が三宅デザイン事務所に入社したのは2001年のこと。幼い頃から創作好きで、その延長から独学で服づくりを始め、服飾の学校に通い、同社の門を叩いた。

「振り返れば、当時は素材のことを何も知らないような状態で入社しました」

A-POCは1998年に三宅一生が「一枚の布(A Piece of Cloth)で服づくりのプロセスを変革し、着る人が参加する新しいデザインのあり方を提案する」をコンセプトに掲げスタートした。購買者自らがあらかじめ服の形が編み込まれたチューブ状の生地に鋏を入れて服を完成させるという実験的なブランドだった。
宮前は三宅と藤原大が率いていたA-POCの企画チームに参加し、その後、ISSEY MIYAKEの企画チームのスタッフ経験を経て、2011年から19年までISSEY MIYAKEのデザイナーを務めた。

「ISSEY MIYAKEのデザイナー時代は、毎回、春夏、秋冬と新たなシーズンテーマを打ち出し、パリコレクションに参加していました。大変でしたが、刺激的な現場でした」

しかしコレクションを重ねていくなかで、宮前と生前の三宅はある共通した思いを抱えていく。

「僕はISSEY MIYAKEの在任時、シーズンテーマやデザインを考えながら、“スチームストレッチ”(※ジャカード織り素材にストレッチ糸を織り込み蒸気で縮めて服をつくる製法)や“Dough Dough”(※ドウドウ。パン生地/Doughのように自在に形が変わる形状記憶素材)など、新しい製法や素材を探求していた。それを見ていた一生さんは、『もっと追求しないともったいない』と感じてくださった。一つのものを徹底的に研究して、一人でも多くの人に喜んでいただけるような服づくりを目指す。イッセイ ミヤケという企業が全てのブランドにおいて貫いてきた姿勢を、次世代にどう遺し伝えるべきか。そこに思いを巡らせるようになりました」

2019年、宮前はISSEY MIYAKEのデザイナーのバトンを近藤悟史に渡し、いくつかのプロジェクトを模索し始める。そして2020年秋、かねてから親交があった横尾忠則との協業を通じ、衣服の更なる可能性を追求するプロジェクト「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE」(タダノリ・ヨコオ・イッセイ・ミヤケ)を発表した。

「一生さんとの会話の中で、『これまでお世話になった方々と一緒に服をつくることで恩返しのようなことができたらいいね』という話があった。一生さんはいつも、直接的に『こうしなさい』とはおっしゃらない。『いま横尾さんと一緒に何かやったら、新たなパワーをもらえるだろうし、A-POCの可能性も引き出せるのでは?』という風に“ヒント”を与えてくださって、それをこちらがキャッチして『こういうことなのかな』と具体化していくんです」

横尾の膨大な数の作品に触れてみると、新たな発見があった。

「横尾さんは1960年代から今日まで多彩な作品を生み出されてきた。その一方で、一つのモチーフを何年かおきに扱われてもこられた。自由な発想、反復というアプローチ、探求の精神に、あらためて一生さんとの共通点をいくつも見つけました。そして、僕が入社した頃と比べて製法技術も飛躍的に進化した今、A-POCにもまた、更なる進化の可能性が秘められているのでは、と気づきました」

こうしてA-POCの考え方にあらためて着目した宮前は、様々なリサーチやアイデアの集積からおよそ2年の準備期間を費やし、2021年3月、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEをスタートさせた。若手とエキスパートを集めた少人数のチームを組み、A-POCの更なる研究開発に取り組み始めた。

「ある日、一生さんからメモ書きを渡されて。そこに“able”と書いてあった。それは『A-POCならきっといろんなことを“可能(able)”にするんじゃないかな?』という一生さんからのメッセージでした」

大々的な発表の場も予定していたが、世はコロナ禍に突入してしまう。そのためブランドは静かにスタートを切ることとなった。

未来を織りなすために

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「TYPE-I」というネーミングは、メルセデスベンツやBMWといった自動車メーカーにおける大衆車のクラス分けを想起させる。そしてプロダクトのルックは極めてシンプルかつベーシックだ。今回の「TYPE-I MM project」で用意されているアイテムも、シャツ1型、ジャケット1型、パンツ2型、ドレス2型と限られている。

「敢えて工業製品のような記号性を持たせています。例えばプリーツ プリーズのように、ファッション・プロダクトとしてアップデートしていけるようなシリーズを念頭に置いています。シーズンごとのテーマに合わせてスタイルを変化させていくのではなく、A-POC独自の普遍的なアイテムを追求していきたい。“ニュー・スタンダード”をつくりたいという思いで取り組んでいます」

A-POC ABLE ISSEY MIYAKEが掲げるコンセプトの一つ、「つくり手と受け手のコミュニケーションを広げ未来を織りなす」。宮前はA-POCを継承する上で、その概念をより広義で捉え直した。

「そもそも一生さんがA-POCというブランドに込めたメッセージやそこに見出した可能性は、一言では言い表せないほど広大な裾野を持っていたんです。一本の糸、一枚の布を通して、社会を俯瞰し、ファッションを探求し、身体と向き合っていた。これについて一生さんと直接的に多くの言葉は交わしませんでしたが、コロナ禍、一生さんは電話で『僕にとってはプリーツと同じくらいA-POCのものづくりは大事なんだ』と話されていた。あらためてA-POCを継承する以上、一生さんが70年代から一貫して持ち続けてきたイズムを継承し、目に見える活動を通して具現化したいと思いました」

他者との出会いから生まれた服の誕生から発表までのプロセスを記録映像に収めた「TYPE-I MM project」は、プロジェクト全体が一つのインスタレーションのようにも映る。

「コロナ禍、多くのデザイナーが口にしてきたように、僕もまた、ブランドの存在意義やファッションの価値観の変化について日々考えさせられています。その中で見出した答えの一つは、やはりイメージやデザインを強く打ち出すだけがイッセイ ミヤケというブランドの真髄ではないということ。A-POC ABLE ISSEY MIYAKEでは、新しい服づくりへ果敢に取り組み、全てのプロセスを可能な限り共有することで、着る人との深いコミュニケーションを形成していきたい。服や素材の誕生の背景を物語として記し、伝えることで、服の新たな付加価値を生み出していきたい。そして新たな才能も発掘・育成していきたい。無論、ブランドのプロジェクトなので、きちんとしたビジネスにもしなければならない。理想を現実にしていくための課題は尽きません」

AIやChatGPTの台頭が話題の昨今、むしろ宮前はよりフィジカルな表現に惹かれているという。

「今回の『TYPE-I MM project』における井上さんの迫力はまさに人間のフィジカルな表現が持つ魅力の極みです。テクノロジーや新素材にも大いに心惹かれますが、井上さんも一生さんも時代の中で戦い、時代を切り拓いてきた方々です。スマートフォン一つで簡単に感動を体験できる世の中も悪くはないのですが、リアルな質感に触れて感じたりすることは心を豊かにするために大切で、身体の五感で感動するという体験や価値は、この先、百年経っても変わらないはずだと僕は信じています」

三宅一生の思いを受け継ぎ、様々な技術や人々との出会いの中から自身の発想を究めることで新たな服を生み出し、着る人に届ける。そしてそれをまた伝え遺す。ニュー・スタンダードのための宮前の挑戦は始まったばかりだ。

宮前義之 2001年三宅デザイン事務所に入社。2011年から19年までISSEY MIYAKEのデザイナーを務める。2021年に始動した「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」では、素材の探究から服づくりまで広い視野を持ってものづくりを追求している
 
TYPE-Ⅰ MM project シャツ1型、ジャケット1型とドレスが2型ずつ、パンツが2型の計6モデルが登場。パリでは10/19から先行販売を開始し、国内では11/1から販売が開始される。A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA, A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / KYOTO, ISSEY MIYAKE GINZA / 442では今回のプロジェクトに合わせて制作された特別な映像作品を上映する

特別上映会ご招待のご案内

「ISSEY MIYAKE GINZA / 445」に隣接する映画館シネスイッチ銀座にて上映会を開催予定。上映内容は「TYPE-I MM project」と、同作品で監督を務めた山中有の映像作品「白姓」。「白姓」は2014年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「コメ展」にて発表された作品で、白姓とは百姓に一つ足りないという意味の造語で、「百姓は百の仕事ができる尊敬すべき人。自分はせめて“白姓”になれたら」という思いが込められている。今回は20組(ご同行者1名様までの最大40名様)をご招待。詳しくは下記概要まで。

開催概要

日時 11月2日(木) 19:00~(約1時間) ※開場 18:30
会場 シネスイッチ銀座(シネスイッチ1)
住所 東京都中央区銀座4-4-5 旗ビル
作品 1.「白姓」2013年作品 46分

2.「TYPE-I MM project」2023年作品 14分

※会場の席数に限りがございます。お申し込みをご希望の方は、 10月26日(木) 22:00までこちらからご応募ください。