HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE 2024/25 AW
A CREATIVE SESSION WITH RONAN BOUROULLEC【後編】

HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKEが発表した2024/25年の秋冬コレクションはデザイナーであるロナン・ブルレックとの協業コレクション「Immersed in the Wilds of Creativity――没入。野性溢れる創造力――」。直感を尊重し自由で大胆に描かれたロナンのドローイングをどうコレクションに落とし込んでいったのか。幾度も対話を重ねてつくりだされたというコレクションの魅力を紐解いていく

TEXT: KAWAKAMI HISAKO
Photography: HAYASHI KYOTARO

INTERVIEW
井上雅人|テクノロジーとの相愛が生み出すもの

社会学の視点からファッションやデザインを研究する井上雅人が読み解く、オム プリッセ イッセイ ミヤケとロナン・ブルレックの協業の真髄

服を纏うことで己が何者かを表すこと

 衣服の始まりについては諸説ありますが、私は言語がまだ存在していなかった時代に「己が何者であるか」を表現するためのツールとして誕生したと考えています。言語のない世界では見た目から得られる情報が全てです。もちろん、最初期には現在のような衣服の形態ではなく、髪や体毛を工夫したり、入れ墨を彫るなど肉体への直接的なアプローチが主流でした。さらに文明が築かれていくと草や木の編み紐や貝殻などのいわゆる装飾品が生まれていきました。また、宗教的な側面からも衣服や装飾品は非常に重要な役割を果たしていました。例えば、“トーテム”のように、部族や血族にアミニズム的な宗教が密着したコミュニティでは、野生動物の毛皮や一部分を身に纏うことで、その動物の力を得ることができるという考えが浸透していたことなどが挙げられます。一般的に想像されるような寒さや外敵から身を守る機能的な観点から衣服が生まれたというよりも、実際には社会的なヒエラルキーの中で自分がどのような存在かを説明すること、そして宗教的な観点から「何者かになる」ことで力を得るといった側面の方が、衣服の起源を辿る上では重要だと考えています。

 今回、オム プリッセ イッセイ ミヤケがデザイナーのロナン・ブルレック氏と行った協業を見て感じたことが大きく分けて三つあります。ひとつは、イッセイ ミヤケが得意とする“プリーツ”という素材のメディア性です。日本には着物という伝統的な衣服があります。着物は世界でも稀に見るメディアとしての要素が強い衣服です。着物は型のレパートリーは多くありませんが、染め方や布に染め付けられている絵柄は何千、何万通りと存在しています。さらに、帯も様々な絵柄と色が存在していて、その組み合わせの違いによって季節感を表現したりしていました。先程、衣服の成り立ちについてお話しした際に、衣服を身に纏うことで自己が何者かを説明する、ということを言いましたが、着物はまさにグラフィックによって自己を説明し、他者とのコミュニケーションを促すためのツールとして存在していました。オム プリッセ イッセイ ミヤケとブルレック氏の協業を見て、プリーツも同様にアーティストのドローイングと融合させてもなお製品としての存在感を保ち続けることができる強い “土台”だということを再認識しました。では、その強度はどこからやってくるのか。2つ目の気づきは“テクノロジーとの相愛”です。

手仕事と機械の技が融合した衣服

今回のインタビューを受ける前に、コレクションの衣服を製作するところを映した映像作品を見せていただきました。驚かされたのが、プリーツを折り続ける機械や、布へ刺繍をする機械の動きがまるで生き物のように有機的で優しかったことです。これまで、ポリエステル素材のプリーツに対して工業品のようなイメージを持っていましたが、実際にプリーツをかけていく様を見ると、ブルレック氏がドローイングを描く時の腕のストロークに酷似するような実直さを感じました。機械が行っている作業と手仕事がリンクしていく。その誠実さを実現できる背景には、人間の生活をより良くするために手作業と機械での作業を分け隔てなく同列に扱うという、ブランドがテクノロジーに対して抱いている深い敬愛が前提にあるのではないでしょうか。

 コレクションのアイテムを見ていく中で、私はブルレック氏のドローイングが全面に表現されたゴブラン織のトートバッグが魅力的だと思いました。ドローイングが持つ色のグラデーションや細かなペンのタッチが繊細に再現されています。個性的なアーティストの手技と、テクノロジーによって培われた機械の技が全く違う場所から同じところへ行き着くというのは非常に面白いことだと思います。

 2つ目にお話しした人間と機械技術の調和について考えた時、真っ先に頭に浮かんだのは19世紀に活躍したデザイナーのウィリアム・モリスでした。彼はアーツ・アンド・クラフツ運動*1を推進し、機械による大量生産ではなく手仕事に回帰しようという考えの持ち主でした。矛盾するようですが、彼の代表作はテキスタイルや壁紙を中心とした印刷物のグラフィックで、機械技術の上に成り立つ仕事ばかりです。彼は大量生産された味気ないプロダクトが世界の主流になってしまうことに警鐘を鳴らしていただけで、機械産業を完全に否定していたのではないのです。そして、彼が望んでいた手作業と機械の調和が取れた環境がまさにオム プリッセ イッセイ ミヤケであり、19世紀に存在していたギルドの理想形ではないかと思いました。これが、私が3つ目に考えた “21世紀におけるギルド”です。オム プリッセ イッセイ ミヤケはチームでデザインしていることもあり、敢えて中心をつくらずに集団としての創作のあり方を模索している。ブルレック氏との協業に関しても、まるでブルレック氏をギルドの一員として招き入れるかのようにして、幾度も対話を重ね共に創作を生み出していくというプロセスを大切にしている。制作集団としては幸福な環境ではないでしょうか。

 最後に、オム プリッセ イッセイ ミヤケの衣服は5年、10年の短いスパンではなく、50年、いや100年先の未来まで視野に入れてデザインを考えるべき衣服だと思います。テクノロジーと相愛し、柔軟なアイディアを紡ぐことのできるギルド的な環境があれば、地球環境の変化や人類の思考の変化にも感応し、100年先まで進化と成長を遂げるブランドであり続けることができるでしょう。
*1 アーツ・アンド・クラフツ運動…19世紀後半にイギリスを起点に興った、造形芸術の運動

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井上雅人 
1974年生まれ。東京大学文学部及び文化服装学院を卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。著作に「ファッションの哲学」(ミネルヴァ書房)など。セレクトショップ「コトバトフク」の運営にも携わる

Ronan Bouroullec: On Creative Session
オム プリッセ イッセイ ミヤケとロナン・ブルレックの協業を紐解く展覧会が21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3にて10/25~11/24まで開催。協業にあたり行われた「クリエイティブ・セッション」を中心に、“ドローイング”と“服づくり”という二つの側面からコレクションについて紹介をしていく。会場ではロナンが描いた貴重なドローイングや、インタビュー映像などが公開される予定。開館時間は10:00-19:00(火曜休館)。入場料無料