イタリアのアッシジ、聖フランチェスコ大聖堂に行くことが長年の願いだった。丘の上の大聖堂の階層の美術館に行くのが第一の目的だ。美術館には何世紀にも渡って収蔵されたイコンの絵が展示されている。
聖フランチェスコ、本名ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネは1182年7月5日にアッシジに生まれ、1226年10月3日に亡くなったカトリック修道士で、中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりとされている。もともとの洗礼名はジョバンニ。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の主人公と同じ名前から、僕は親しくその聖人を想起する。
ジョバンニは若いころから様々な旅をしていた。ハンセン病患者への奉仕をしたり、森を彷徨うことも何日かあった。家の財産を人のために使い込み父親に勘当もされた。隣町ペルージャとの戦いに参加、捕虜の経験もした。ジョバンニは音楽が好きで話も上手い、彼の回りにはいつも人が集まってきた。宣教のはじまりだった。
はじめて聖フランチェスコの名前を僕に教えてくれたのは、大江健三郎さんだった。ウイリアム・ブレイクの絵を一緒に見ながら、大江さんはダンテの「新曲」を読んでイタリアのアッシジを旅したことが忘れられないと言った。そこが聖フランチェスコ大聖堂だった。
「聖フランチェスコに弟子が記した『聖フランチェスコの小さい花』という伝記があります。『被造物の賛歌』を聖人は死の床でこう謳ったのです。『太陽・月・風・水・火・空気・大地』を主への讃美に参加させ、自然と一体化した聖人として、珍しいのです。アッシジに行く機会があればぜひ小さな聖フランチェスコの肖像を描いたイコンを見てください」
美術館の作品ナンバー23にその葉書大の小さなイコンを見つけた。タイトルは「アッシジの聖フランチェスコ」。何か悲しげな肖像画だった。大聖堂のあまりにも有名な巨大な壁画「小鳥にはなしかける聖フランチェスコ」のもう一つ、聖人の裏の悲しみをまるで湛えたような絵だ。人のための宣教ではなく自分のために祈り、その小さなイコンの無垢な表情を僕は勝手に読み取った。その瞬間、神以外に自然を絶対的なものに加えることという彼の教えが生まれたとも思った。
大江さんはある友人のことを言った。
「彼はカトリックではないので神さまという言葉を発した祈りは捧げない。神様と言わず仏さまと言わず、彼はなんと言ったか。彼は内緒でポチと言って祈ったのです」
僕も真似して聖フランチェスコのイコンの前でこう願ってみた。
「ポチ、これからの旅の行く末まで平穏であることを」
スイッチ編集長 新井敏記