豊かな自然と多くの文化遺産を持つ、東地中海に浮かぶキプロス島をアーティストの高濱浩子はある特別な思いをもって旅をした。キプロスを知るきっかけは、子どもの頃に父親からもらった切手の絵だった。
「Coyote No.68」に収録のトラベローグ「キプロスへ」の未掲載原稿も含めた完全版を公開。
写真: 畠山浩史
協力:キプロス観光政務官組織
2019年2月21日(木)
パフォスのコーラルビーチで朝を迎えた。誰もいない岩礁に乗って波と過ごす。波はいつも呼吸を取り戻させてくれる。小さな頃からそうだった気がする。私は街の中のアスファルトの上で育った。公園も近くになかったし、土で遊んだ記憶はほとんどない。土の記憶は一時的な空き地か神社だけだった気がする。母は北海道の生まれ育ちで、春になれば水芭蕉、初夏になれば鈴蘭、夏になれば大雪山、秋にはスグリの実、冬になれば雪の記憶を話した。母のDNAか、あるいは39歳からのインドでの田舎暮らしがきっかけか、私は街の中に咲く草花を数えるようになった。路傍の草花は生きることに正直だ。私は彼らを師匠だと思っている。波も同じ存在で、大切なことを教えてくれる。舟が一艘、漁に向かって行った。さて、今日が始まる。
今日は3つの遺跡を巡る。ディミトリスさんと朝の挨拶を交わしマイクロバスに乗る。1番目は「聖パウロの柱」。柱が散乱する遺跡に松が茂り実を落としている。柵の向こうのモザイク画のそばで、猫が丸くなって眠っている。ここの猫たちは大体幸せそうに見える。今朝もチェックアウトされた部屋をマイペースに見回りをしていた。パウロの柱に伝わる悲しみの解説も、猫を見ていると肩の力が抜けてくる。
2番目は、港の傍にある広大な「パフォス・モザイク」。2世紀から5世紀に作られた貴族の邸宅のモザイク画を、1962年に農夫が畑作業をしていて偶然発掘した。グレーや赤褐色、乳白色といった天然石とガラスで組まれたモザイク画の色合わせは実に繊細だ。雨の時はどれほど美しいだろう。丘の向こうまで続く道の傍らには、黄色いカラシ菜の花や、白や赤のヒナゲシや、膝丈ほどに伸びる、薄いふじ色をしたアスフォデルという花が見える。アスフォデルはキプロスではどこでも咲くらしい。「死んだ善人の魂が休むところに咲く。」と言う。神話を語る数々のモザイク画に、市井の人々の魂が守り人となっている。
3番目は「王族の墓」。私の心に留まったのは、大海原を背景に咲く、野生のシクラメンだった。薄紅色の少し細めのシクラメンは、石灰岩の岩場のわずかな土から茎を伸ばしている。日本の店先で見るものより清楚な印象だ。目を足元に向けると、見たこともない楽しい草花が息づいていた。猿の顔をしたモンキーオーキッド、クラリセージ、紫色のマンドレイク。マンドレイクの根は古来より魔力を持つと言われ、「この根を煎じて飲んだ後、男女が愛の交歓をすると子どもができるのよ」と聞く。何かと神秘的な墓場だった。
遺跡見学を終え、ジープに乗り換えた。手つかずの自然が残るアカマス半島へ向かう。岬へ続く道路沿いにはバナナやアボガドの農園が続く。キプロスバナナは粒が小さくて甘い。飽きのこない美味しいバナナだと思った。途中、不思議な光景に出会う。白い石灰岩が大きな層を作る岩礁で、数年前に打ち上げられた座礁船がそのままの姿で残っている。エメラルドグリーンの透き通った海に、斜めになったままの大きな錆びた船体が、すっかり馴染んでいる。見物客を目当てにカフェまでオープンしたそうだ。座礁船は今では鳥と魚の家になった。このことが太古の昔話になるまで、この星は存在しているのだろうか‥‥
道が舗装から赤土になり車は激しく揺れだした。左側には海と草原しか見えない。羊飼いが「オーパ!」と叫びながら山羊と羊を追っている。カウベルの音が高く響いている。優しくて美しい音。私も「オーパ!」と叫べばよかった。車は益々激しく揺れながら先へ向かう。そしてララ海岸に辿り着いた。この静かな湾曲の浜辺には、ウミガメが産卵に来るらしい。キプロス人のガイドが「ほらっ」と石を差し出し、私の手のひらに乗せてくれた。深い臙脂色や茶褐色の宝石のような四角い石だった。「これはモザイク画に使われている石だよ。あの白い岩はこのあたりが海の中だった頃の、魚や貝のカルシウムからできたもの。これはそれよりもずっと古い。海底火山だった時代のものだよ。」と聞き、興奮した。
昼食は三角錐の形をした古い石の灯台がある小さな港のレストランだった。ギリシャ風サラダから始まり、定番のハルミチーズ。クロダイ、スズキ、イカの揚げ物にエビのロースト。私の肌もジリジリと焼けていった。夕方になるまでに、女神アフロディーテが水浴びをしたという泉へ向かう。途中、アーモンドの木の向こうに大きな二重の虹を見た。
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