これまで数々の名曲を世に送り出し、2020年には作詞家生活50周年を迎える松本隆。ここでは8月20日発売「SWITCH Vol.37 No.9」収録の「松本隆[この世界の言葉、幽玄へ]」と連動する形で行われたJ-WAVE「RADIO SWITCH」のインタビューの中から、紙面の都合上、本誌に掲載しきれなかった貴重な内容をお伝えする。訊き手はSWITCH編集長・新井敏記。
「漂泊」。作詞家・松本隆を端的な言葉で表現しようとするとき、まずその言葉が頭に浮かぶ。日本語ロックの草分け的バンド「はっぴいえんど」の解散以降、松本はさまざまな人々との出会いを繰り返しながら、これまで数え切れないほどの言葉を紡いできた。漂泊の作詞家が、自身の軌跡を振り返る—— 。
下積みゼロの作詞家デビュー
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- 大瀧詠一、細野晴臣、松任谷由実……松本さんが作詞を手掛けることで、それまで自分が作ってきた音楽の延長に、新たな可能性を見出した方は大勢います。
- 松本
- みんな半歩くらい引いた場所で見ているんですよ。「松本が1人で突っ込んでっちゃったけど大丈夫かな」という感じで。そうしてしばらく様子を見て、「なんだか上手くいっているようだし面白そうだな」って、それで一緒にやってくれる。80年代はそんな感じだったと思うね。
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- それは松本さんの役割として、ものすごく大きいものだったと思います。
- 松本
- それを言うのであれば、筒美京平の功績というものも大きい。彼が僕の資質を見極めて、引き立ててくれたんですね。はっぴいえんどが解散して、僕が作詞家として活動し始めた当初は味方がいなかったんですよ。
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- 当時、大瀧詠一さんは自身のレーベルであるナイアガラレーベルを作って、山下達郎さんをはじめとした仲間たちと新たな音楽を作られていました。そして、細野晴臣さんは「ティン・パン・アレー」というバンドを作って、こちらも独自のサウンドの展開をしていきました。
- 松本
- どちらも、「もう松本いらない」って(笑)。はっぴいえんどから一人離れて、孤軍奮闘しなきゃいけなかった時期だよね。でもまずは食い扶持を手に入れなきゃいけないから、3人の身近な人間に「作詞家になりたいんだけど、どう思う?」と相談したんです。そうしたら予想外にトントン拍子にことが進んで。相談した内の2人が持ってきてくれた仕事が、アグネス・チャンとチューリップ。そして、その両方がベストテンに入っちゃった。だから、言ってみれば下積みゼロなの。
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- 松本さんの作詞家活動はそこから始まった。
- 松本
- ただ両方とも、半年くらいすったもんだしていたから、すんなり世の中に出たわけではないんだよ。アグネスは当初、アルバム用に2曲書いてほしいと言われたんだよね。それで書いたのが「ポケットいっぱいの秘密」。そしてもう一曲が、後々アッコちゃん(矢野顕子)がカバーしてくれた「想い出の散歩道」。
当時アグネスには2、3人くらいの作家チームが5つあって、各チームに2曲ずつ作らせて、その内の1曲をシングルのA面用にセレクトするという手法を取っていた。僕はアルバム要員として参加したから、シングルの候補には入っていなかったの。でも、シングル用の候補曲にあまりピンと来なかったみたいで、そのうち誰かが「松本君のこれがいいんじゃない?」って言い出したのが聞こえたんだよね。僕は内心「ラッキー!」と思ったのを今でも覚えている。
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- それは73年頃のお話ですよね。
- 松本
- そうだね、73年か74年頃。
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- その後、75年には太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」をリリースされますが、あの男女の往来書簡という秀逸な詞は、どのようなシチュエーションから生まれたんですか。
- 松本
- あの曲はディレクターの白川隆三に「松本君は都会生まれだから、都会でしか君の歌は売れない。もっと田舎者の気持ちを汲んでほしい」と言われたのがきっかけなんだよね。彼は九州の田川という炭鉱町の出身だから、そういうコンプレックスがとても強い(笑)。
でも僕からするとそういう気持ちって、なかなかわからない。だから、なるべく彼を観察するようにして、自分を都会の外側に投影して、都会と田舎の対比という構造で書いてみたんだ。僕の中には都会に対する愛憎みたいなものがあって、その“憎”の部分を増幅する形でやってみたら、たくさんの人が共感してくれた。田舎を出て10年くらい都会で暮らしているサラリーマンが、ジュークボックスの前で泣きながら聴いていた、なんて話も聞いてさ。
あの曲が世の中に出た時、僕はヨーロッパを旅行していたんだよ。それで帰国したら、マネージャーから「松本さん、“木綿”が売れてます!」って言われて、そこで初めて売れていることを知ったの。
輝きを誘う言葉
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- 以前薬師丸ひろ子さんが、昔は歌詞の意図を読み取ることができなかったけれど、10年、20年経って、こんなに深い意味があったのかと感動したと、松本さんの歌詞についておっしゃっていました。
- 松本
- その時にわかれよ、という感じだけどね(笑)。
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- でもたとえ同じ言葉だとしても、何度も読み解くことで、10代なら10代、20代なら20代の、その時々の人生を支える言葉になっていく。松本さんの書く詞が持つ、その普遍性に凄みを感じます。
- 松本
- (松田)聖子ちゃんを例に挙げると、彼女の場合は僕が書いた詞を何百回、何千回って歌っていると思うのね。それで、詞のキャラクターが自分の性格とごっちゃになっていった気もする。それはちょっと不思議な感覚ですね。
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- それは松本さんが彼女の内側から光を導き出して、そちらの方向に誘っていったからではないでしょうか。
- 松本
- いやいや、アイドルになるということは、元々本人の持っている光がすごく強いんです。だからこそスターになっているわけで。そういう風にキャラクター性が強いと、詞を書くのはすごく簡単なんだよ。逆にそういうキャラクター性が無いと、どこがいいのかわからなくて苦労することもある。
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- 歌い手の持つキャラクター性を一つ一つ紐解きながら詞を書いていくのに付随して、曲のイメージも導き出していくのでしょうか。例えば、このアイドルのこの曲は大瀧さんにお願いしよう、このアーティストの曲は細野さんにお願いしようといったように。
- 松本
- 聖子ちゃんの場合はディレクターの若松さんと相談しながらやっていたけど、若松さんはかなり僕のことを信頼してくれていて、いつも僕の言うことを聞いてくれたのね。僕が大瀧さんにお願いしようと言えば、大瀧さんになるし。
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- そこから「風立ちぬ」という名曲が生まれた。
- 松本
- あの時は運命的な組み合わせを感じたね。
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- それは松本さんのプロデュース力の表れでもありますよね。
- 松本
- 僕はプロデュースなんてしていないよ。こうしたら面白いんじゃないかってことを周りの人たちに言ったら、みんなが同意してくれたからできたのであって。そこに誰か1人でも頑固な大人がいて、カラーが違う人を連れて来たら崩れちゃったんだろうけど。でもそうではなくて、若松さんという理解者がいて、僕の考えに同意して力を貸してくれた人たちがいたから成立したんですよ。
クミコとの出会い
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- 長いキャリアの中でさまざまなアーティストの方と曲を作られていますが、クミコさんとはずっと繋がっていらっしゃいますよね。
- 松本
- クミコって超アナログ人間なんだよね。侘しい喫茶店で、ピアノ一本で彼女が歌っているのを初めて見た時、「この人の歌、いいな」と思ったんだよ。すぐに筒美京平に聴かせようと思って、無理やり渋谷に呼び出してさ。そうしたら京平さんはエルメスのスーツで来ちゃって。喫茶店の雰囲気とファッションがまったく合わない。でもそこでクミコと意気投合して、一緒に何かやろうと言って、トータルアルバムを作ってね。彼女はそれでレールが敷けて、紅白まで行っちゃったんだ。
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- 松本さんのアドバイスで名前も変えられましたね。
- 松本
- “高橋久美子”から“クミコ”にね。高橋って苗字の人はたくさんいるし、久美子も珍しい名前じゃないから差別化できないなと思って。それで僕が苗字を芸名から外していいか訊いたら、「別れた亭主の名前だから……」って言うんだよ。でも、少し押してみたら「取ってもいいわよ」って言うから、じゃあ取っちゃおうと。ちょうどイチローが脚光を浴びている時で、「イチロー」も「クミコ」もカタカナ三文字で印象もいいかなと思って。
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- 彼女は元々シャンソン歌手でしたが、クミコに改名されてから、全然違う魅力を発揮しましたよね。
- 松本
- 彼女の場合はシャンソンに忠誠を誓わなくても、ジャンルに捉われない「いい歌を歌う人」でいいじゃないかと思ってさ。
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- クミコさんは松本さん以外にも、岩谷時子さんや覚和歌子さんの詞を歌われていますが、曲ごとに異なる色彩を見せてくれますね。
- 松本
- 彼女はずっとカバーを歌っているから、オリジナルということに関してあまり意識が無いんだよね。もう少し持ってほしいと思う時もあるんだけど。でも、音楽業界は自然淘汰されていく世界で、仮にそうなってしまったら僕の詞の負けでもある。だから、そんなもので縛ってもしょうがない。そういうものは全部、時のふるいにかけられて当然だし、僕は何もしないで見守るだけ。
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- 松本さんが全曲を作詞されたクミコさんのアルバムのタイトル『デラシネ déraciné』は、フランス語で「根無し草」を意味します。このタイトルは松本さんが彼女に対して感じる歌の力強さや、彼女の内に秘められた光と闇のようなものをイメージされているのでしょうか。
- 松本
- クミコも根無し草だしね。でも彼女はずっと東京にいるけど、僕は東京を離れちゃったから。僕は松尾芭蕉のような根無し草な人が好きなんだ。
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- “漂泊”ですね。
- 松本
- 西行も好き。西行は源頼朝から褒美としてもらった銀の猫の置物を、近所の子どもにあげちゃうってエピソードが一番だな。
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- 格好いいですね。
- 松本
- 格好いいよね。あと一休さんも好きなんだけど、彼の場合は大徳寺の管長に選ばれたのに、一度もお寺に行かないで堺で酒かお茶を飲んでたって聞くし。それから西行にしても一休にしても、良寛にしても、みんな死ぬまで女が好きだったっていうところもいいよね。
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- そっちですか(笑)。
Vol.2につづく▽
本誌にも貴重なインタビューを掲載!
8月20日発売の雑誌「SWITCH Vol.37 No.9 LEVI’S®️ VINTAGE CLOTHING BEAT GOES ON」では、大瀧詠一の名曲「君は天然色」誕生秘話や松本隆が現在暮らしている神戸での生活、第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督とのエピソードを掲載しています。ぜひ併せてお楽しみください。
関連ページ:SWITCH Vol.37 No.9 LEVI’S®️ VINTAGE CLOTHING BEAT GOES ON。