「モノクロは『影』。森山さんは『影』を撮っている。私は『陰り』を撮っている」—— 荒木経惟
荒木経惟は森山大道の世界を「影」と表現する。
森山のカラーもモノクロもトーンは漆黒であると。
そこに写り込むすべては森山自身の影であると。
『月光写真』は1964年に荒木が『さっちん』で第1回太陽賞を受賞し、
1971年に『センチメンタルな旅』を発表、翌年に電通を退社するまでの間に
荒木が個人的な習作として「月光荘」のスケッチブックに
自らレイアウトしまとめた26冊のスクラップブックを1冊にまとめたものだ。
電通時代の荒木は森山が進める写真表現に対して羨望の眼差しを向けていた。
1964年にフリーとなった森山は逗子に移り住み、
そのころ逗子にいた中平卓馬とともに
ウィリアム・クラインの写真を紐解き、
「写真はこんなに自由なんだ」というようなことを話し合ったと言う。
森山は1968年に中平卓馬らが創刊した
同人誌『PROVOKE(プロヴォーク)』に参加する。
『PROVOKE』は「思想のための挑発的資料」という、
従来の写真表現を否定するラディカルな方向性を打ち出した。
そして森山は1972年に他人の写真やテレビなどの無原則な複写や、
シャッター空おとしのネガの切れはしなどでほとんど構成された
異色の写真集『写真よさようなら』を発表。
すでに時代の寵児であった森山のこの作品に対して
写真界は冷たい水を浴びせかけた。
ただ唯一、荒木経惟だけが高く評価して
「写真の未来を見た」といった。
荒木は当時のことをこう語る。
「森山さんに一番最初に惚れ込んで嫉妬したのは、やっぱり『プロヴォーク』の二号に出した裸の女性の背中だった。当時は遠くから見ていて、ああやってるなあって。仲間に入れてほしいと言ったって、そのころ俺は電通に勤めていて、まったく正反対の広告写真だからね。仲間になるんだったら、会社やめなくちゃダメなんだ。二股かけてちゃダメだから、ある種の憧れの目で見ていたよね。森山さんは自分のやりたいことをやってる。俺が自分のなかで思っていることと同じような思いを持って写真をやってる、そう思ってた。だからそのころから近い存在だとは思ってたんだよ。写真も、見た目は違うけど、同じだと思ってたな。遠いようで近い。逆に近いようで遠い存在。今も思いは同じだよね」
荒木経惟、幸福な無名時代。
森山と荒木だけが知る漆黒の世界 極彩の美に迫る
*本対談は「Coyote No.64 特集 森山大道」に収録された記事を再構成したものです。
1. モノクロームへ
—— お二人はいつ以来の再会ですか?
荒木 いやー、こういう公式の場でしか会わないもの。
森山 数年は会ってないかなあ。
荒木 大体そうなんだよ。もう会って話すことって言ったら無いじゃん。
森山 今更ねえ。
荒木 写真のことなんて。
森山 荒木さんは昔から、日付けを入れて割りかしきちんと撮っていた。噓もあるけれど。
荒木 (笑)。だから今度はね、『正直日記』っていうのを出すんだよ。ほらいつもは日付けをいじるんだけど今度はちゃんと順に撮っている。ほら今日は一月二十九日だろ。だからちょっと森山さんを一枚撮るね。これで正直日記。
森山 いや分からないね。
—— 荒木さんは森山さんの『Pretty Woman』を見て、カラー構成に感動されていました。
荒木 凄いよー。変な言い方だけど、「モノクロームの頂点」にいっちゃった感じじゃないかな。そうじゃないとこういう潔い色は出せないんだよ。普通だと、デジタルでカメラが出している色が多いじゃない。ところがやっぱり、これは森山さんの色だよね。黒を感じさせる。俺のモノクロはまだ「影」じゃない。もう影を撮っているの。俺は「陰り」を撮っている。
—— 柔らかいんだ。
荒木 まだ感傷的だからね(笑)。感傷じゃなくて官能的だからね。本当にこれ凄い黒が出たなあって思っている。モノクロの方もデジタル?
森山 今は全部デジタル。
荒木 じゃあこれ大変だったんじゃない? デジタルでも黒を出すのって難しいじゃない。やっぱり黒っていうのは、日本人っていうと意味を見出そうとするだろ? 情感だとか。ところが潔いね。全く無ではない、闇でもない。闇っていうと何かあるじゃない。別れた女がぼやっと見えたりするだろ? 闇だからね。
—— 漆黒の凄みがある。
荒木 うーん、漆黒というか漆みたいな黒だろ? 私は最初の頃は間のグレートーンが魅力的で、あと中途半端なものはバーンって。それで真っ黒になったから凄いなって。枝か何かが写っているのがあるじゃない。今は俺、車に乗ってしか撮ってないじゃない。そうすると、最近工事中のところが多いから、建物の白い壁に影が映る訳よ。
森山 分かる。
荒木 そうするとね、やっぱり本物より影に惹かれる訳だよ。だからそれは映っているんじゃなくて、本物は影なんだよ。要するに、もう最初から本人っていうか本体は撮っていないの。その人の影を撮っている。と私はこの本でね、そこまで黒の世界に入りこんだから、よく潔くカラーにいったなと思ったんです。そしたらカラーがまた良いんだな。
森山 まあとにかく、この本は歌舞伎町にしようと。だけどね、実際の歌舞伎町じゃなく、僕の気分としては街を全部歌舞伎町にしちゃいたいという思いで作ったんだよ。歌舞伎町の看板みたいなペラペラっとしたカラー写真が好きだから。
荒木 やー、森山さんこれは歌舞伎町だよ。森山さんが「歌舞」しているの(笑)。
—— 「かぶく」ってやつですね。
荒木 うん、傾いているの。こんなに曖昧じゃないカラーで、まだいくらかしっとり感もある。以前新宿二人展の時に「森山さんがモノクロームで、私がカラーだ」なんて私は言ったけれど、やり直しだなこれじゃあ。次に森山さんと二人展をやるんだったら、カラーで撮っている最新作でやりたいね。何撮るか分からないけどね。縦位置でしばらく撮りたいっていう気分が出た時があるでしょう?
森山 そう。位置で一冊作りたいと。
荒木 私もそう、同じ頃に思って。だから不思議なんだよ。今年丸亀市で企画した「私、写真」という写真展は、縦位置で千点やろうと思ったわけ。写真は縦位置だっていう宣言をしようと思ったらさ、森山さんもちょうど縦位置でやっていた。
—— なぜ縦位置なんですか?
森山 なぜって? だって肖像写真って基本縦じゃない。
荒木 両目あるからさ、生理的にも見ているのは横位置じゃない。右も左も見ているから。だから結局ポートレイトは街でも女でも裸でも、縦でいくんじゃないの。それから縦位置だと正座じゃないけど、きちんと立てる。きっと森山さん縦位置で撮る時は、ちょっとくらいは立ち止まると思うんだ。横位置は流し撮りで去っちゃうから。
森山 縦位置はそれが出来ない。
荒木 ちゃんとカメラを構えるから。私は心眼がここにあるの、おでこに。だから結局最後は縦位置勝負だ。縦位置のモノクローム。ダジャレが抜けない。「モノクロー夢」と「モノクロー無」。「恋はモノクローム、愛はモノクローム」。次にやるのはポラロイドで「天国へのポートレート」。
つづく。
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