【『月光写真』刊行記念特別公開】対談 森山大道 × 荒木経惟 後編 写真よさようなら

「モノクロは『影』。森山さんは『影』を撮っている。私は『陰り』を撮っている」—— 荒木経惟

 

荒木経惟は森山大道の世界を「影」と表現する。

森山のカラーもモノクロもトーンは漆黒であると。

そこに写り込むすべては森山自身の影であると。

 

『月光写真』は1964年に荒木が『さっちん』で第1回太陽賞を受賞し、

1971年に『センチメンタルな旅』を発表、翌年に電通を退社するまでの間に

荒木が個人的な習作として「月光荘」のスケッチブックに

自らレイアウトしまとめた26冊のスクラップブックを1冊にまとめたものだ。

 

11月27日発売(スイッチ・パブリッシング)

 

電通時代の荒木は森山が進める写真表現に対して羨望の眼差しを向けていた。

 

1964年にフリーとなった森山は逗子に移り住み、

そのころ逗子にいた中平卓馬とともに

ウィリアム・クラインの写真を紐解き、

「写真はこんなに自由なんだ」というようなことを話し合ったと言う。

森山は1968年に中平卓馬らが創刊した

同人誌『PROVOKE(プロヴォーク)』に参加する。

『PROVOKE』は「思想のための挑発的資料」という、

従来の写真表現を否定するラディカルな方向性を打ち出した。

そして森山は1972年に他人の写真やテレビなどの無原則な複写や、

シャッター空おとしのネガの切れはしなどでほとんど構成された

異色の写真集『写真よさようなら』を発表。

すでに時代の寵児であった森山のこの作品に対して

写真界は冷たい水を浴びせかけた。

 

ただ唯一、荒木経惟だけが高く評価して

「写真の未来を見た」といった。

 

荒木は当時のことをこう語る。

「森山さんに一番最初に惚れ込んで嫉妬したのは、やっぱり『プロヴォーク』の二号に出した裸の女性の背中だった。当時は遠くから見ていて、ああやってるなあって。仲間に入れてほしいと言ったって、そのころ俺は電通に勤めていて、まったく正反対の広告写真だからね。仲間になるんだったら、会社やめなくちゃダメなんだ。二股かけてちゃダメだから、ある種の憧れの目で見ていたよね。森山さんは自分のやりたいことをやってる。俺が自分のなかで思っていることと同じような思いを持って写真をやってる、そう思ってた。だからそのころから近い存在だとは思ってたんだよ。写真も、見た目は違うけど、同じだと思ってたな。遠いようで近い。逆に近いようで遠い存在。今も思いは同じだよね」

 

荒木経惟、幸福な無名時代。

森山と荒木だけが知る漆黒の世界 極彩の美に迫る

*本対談は「Coyote No.64 特集 森山大道」に収録された記事を再構成したものです。

 

2. 写真よさようなら

 

森山 荒木さんが同時代で一番良いと言ってくれたのが『写真よさようなら』。あとはみんな酷評されて駄目だった。

荒木 踏切の写真があっただろ。あの写真が一番好きな写真だったよ。

 

「PROVOKE」2号と『写真よさようなら』

 

—— なぜ好きなんですか?

 

荒木 何でってね、説明なんて写真家に聞くものじゃないんだよ(笑)。

森山 その通り。

荒木 良いんだよ、凄く。私がちょうど同じ大きさでさ、森山さんと同時に出す企画があって。森山さんの『写真よさようなら』の対になるように、『写真よこんにちは』っていうのを写真評論社から出そうっていう。それが結局お蔵入りになって、後になって『東京エレジー』(冬樹社)になるんだよ。ひそかなコラボをして賛辞を贈っている。森山さんに一番最初に惚れ込んで嫉妬したのは、やっぱり『プロヴォーク』の二号に出した裸の女性の背中だった。当時は遠くから見ていて、ああやってるなあって。仲間に入れてほしいと言ったって、そのころ俺は電通に勤めていて、まったく正反対の広告写真だからね。仲間になるんだったら、会社やめなくちゃダメなんだ。二股かけてちゃダメだから、ある種の憧れの目で見ていたよね。森山さんは自分のやりたいことをやってる。俺が自分のなかで思っていることと同じような思いを持って写真をやってる、そう思ってた。だからそのころから近い存在だとは思ってたんだよ。写真も、見た目は違うけど、同じだと思ってたな。遠いようで近い。逆に近いようで遠い存在。今も思いは同じだよね。

森山 荒木さんもそうだと思うけど、うさんくさいものとかいかがわしいものは魅力的で美しいっていう感覚があるよね。都市や人間に漂うそうしたニュアンスを敏感に察知して好んで身を寄せていく、そんなところが荒木さんと僕は似たスタンスがありますね。お互い、なぜか歌舞伎町の風俗街に足が向かったりするのも同じだと思うし。

荒木 そうだよね。本能的にそうなんだ。

 

—— お二人が直接お目にかかった最初はいつのころですか?

 

荒木 そんなのは覚えてない。だから私は写真で出会っているから。『プロヴォーク』を見たり、『にっぽん劇場写真帖』を見たり、そういうことが写真家同士の出会いってことだよね。写真を見て感じたことのほうが印象に残っていて、実際に会ったのがいつだったかはわからないんだよ。

森山 どこかの雑誌で中平と三人で鼎談したことがある。実際に会ったのはそれが最初かも分からない。

荒木 森山さんが私のことを弁護してくれたんだ。中平に相当生意気に見られていたらしくて、喧嘩しにきたぞって(笑)。内容は良いんだよ、と彼は言ってくれたんだけど。

森山 中平は荒木さんのことを一発屋だよとか敵だって言ってたけど、会ったら良い奴だったって(笑)。帰りに、あいつおもしろいって。僕はもともとおもしろいと思ってたから心の中でしたりって思っていた。

 

—— 森山さんは荒木さんの作品の何をご覧になったんですか?

 

森山 僕は『ゼロックス写真帖』とか週刊誌に自分の写真をペタペタ貼りまくったスクラップ帖を荒木さんからよく送ってもらってね、それが荒木さんとの最初の出会いだな。荒木経惟って奴がいるんだ、なんじゃこれはって。中平はそういうのが駄目だったんだよ。何か仕掛けでやっていると彼は思ったらしい。ところが会ってみると意外にも……。

 

—— 良い人だった。

 

森山 いや、良い人とは言ってない。おもしろいと。

荒木 最後はさ、写真は人柄で決まるんだからさ(笑)。

おわり。
 

 

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