自然に挑むのではなく、自然と共に生き、
自然に対して真摯であること。
表現者は自然の声に耳を傾け、生きる知恵を学ぶ。
自作のフライロッドを携え、日々ガイドとして
渓流へと分け入る渋谷直人に話を訊いた。
「今日みたいな暑い日はイワナが活発です。今はちょうど蟻の巣別れの時期なので、イワナが好む羽蟻が水辺には多い。だから今日は羽蟻を模したフライがいい。フライというのは虫(=毛鉤)のこと。鳥の羽で虫を作るという発想自体が面白いですよね」
フライフィッシングは自然観察が最も重要な要素だ。フライ選び一つとっても、自然への観察力が問われるのだ。
秋田県湯沢に生まれ育った渋谷直人は中学の頃からフライフィッシングを始め、35年以上のキャリアを誇る。自作のフライロッドを携え、釣りのガイドとして東北のみならず、全国の川に精通する。6月上旬、宮城との県境の鬼首峠付近から湯沢市に注ぐ役内川での渋谷の釣りに同行した。
藪をこぎ、膝まで水に浸かりながら渓流を遡上する。時折立ち止まっては遠くに魚影を確認すると、その種類や大きさまで見分けていく。
「魚の動きを観察して、そこにフライを投げて、魚が水面にあがってきてフライをくわえたところを釣る。フライフィッシングは観察力とそれに見合った技能があれば、これほど効率の良い釣りはありません。餌釣りのように水の中で何が食っているのかわからないまま釣るのではなく、一部始終全部が見えるのが面白い」
お目当ての魚を見つけると、渋谷はそこを目掛けて2度、3度と竿を振る。するとあっという間に尺(=約30センチ)サイズの魚が釣り上げられた。まさに経験と技能がなせる釣りだった。
渋谷が語るもう一つのフライフィッシングの魅力が、道具作りから釣りに至るまでのすべてのプロセスを楽しめることだ。川連漆器伝統工芸士でもある渋谷は、伝統工芸士としての腕前を釣竿にも活かし、ガイドの仕事と並行して一本一本手作業でフライロッド作りを続けている。
「思い通りのアクションができる竿が欲しくて、まずは自分で作るのが手っ取り早かったんです」
竹の加工から漆を施して乾かすまで、1本の竿が仕上がるまでには2カ月程の時間がかがる。現在は納品まで3年待ちという人気ぶりだ。
渋谷は日々ガイドとしてお客さんと触れ合うことで、フライフィッシングの未来を見据えていた。
「フライフィッシングって知識が大事だと思われて敬遠されがちですが、結局は釣れるか釣れないか。所詮は魚を獲る手段なんです。だけど先が見えないくらい奥が深いものでもあります。だから、まずは成功体験をさせてあげられるガイドが必要。釣りみたいな趣味って成功体験からしか何も生まれませんから。あの感動体験は夢だったのかもう一度確かめに行きたいな、と思えるのが本当に良い体験なんだと思います。そういう満たされないような感覚が大切。今日のようにたくさん大物を釣れても、まだまだ自分も完璧には程遠い。いつも理想の姿を思い描いて釣りをしているけれど、絶対そこには至れないこともわかっています。常に自然は変わりゆくし自分も衰えていく。その中で日々微調整を繰り返していくしかないんです。相手は自然であり生き物ですから」
本稿を収録した「Coyote No.68 山は王国 SWISS ALPS FOR BEGINNERS」はこちら。