自然に挑むのではなく、自然と共に生き、
自然に対して真摯であること。
表現者は自然の声に耳を傾け、生きる知恵を学ぶ。
「ノースウッズ」と呼ばれる北米の森へと通い
自然との対話を繰り返す写真家・大竹英洋に話を訊いた。
20年前、ナショナルジオグラフィックの写真家であるジム・ブランデンバーグに会うために初めてノースウッズを訪れました。そこは数えきれないほどの湖が広がる、カナディアン・カヌーの生まれた地でした。以来、オオカミをはじめとする野生動物を求めて通い続けていますが、今ではこの地をカヌーで旅することも自分の表現活動にとって重要な要素となっています。
もし、カヌーで旅をせずに目的先行でただ動物の写真だけを撮ろうとすると、彼らのリアルが抜け落ちてしまう気がするんです。たとえば、何日かけても出会えないところにこそ、彼らが暮らすために必要な生息域のリアルな感覚があると思うのです。同じようには生きられないけれど、少しでも彼らが暮らす自然を肌で感じたい。そのために必要な時間であり旅であって、その先でもし野生動物と出会えたら、それまでに感じた自然のすべてが結晶化して目の前に現れたように輝いて見えます。そのプロセスが大事なんです。
僕はもともと大学ではワンダーフォーゲル部に所属していました。当時から山頂に立つ以上にそこに至るプロセスの方が好きでした。湧き水を飲み、拾った枝を燃やして暖をとることのありがたみ。星空の下でテントを張り、ソフトシェル一枚を隔てて感じる光の変化や風の音。雨に打たれることで思い出される原始的な感覚。東京という大都市に育ったせいなのか、焚き火や野営をする行為自体に惹かれ、夢中になっていきました。
ノースウッズはまさにそんな自分にうってつけのところでした。カヌーの旅はとても静かです。鳥の声も聞こえてくるし、波を通して風の感触が腕に伝わってきます。そういう自然が発している情報をキャッチしながら、パドルの漕ぎ方を微調整して進むところに自然とのつながりを感じるのです。目指すべき山頂があるわけでもなく自由に湖を繋いで、期間だけ決めて自然の中にどっぷり浸かる。この気持ち良さは他では味わえないと思います。
毎回行く度に自然は違う顔を見せてくれるし、経験を重ねればできることも増えていく。だから飽きることがありません。たとえ荒天などの抗えない状況に陥っても、うまく調和をはかりながら旅を続けることができた時に、深い充足感が生まれます。
一人で旅をすることも大事にしています。これまでの体験が自分の中にすっと落ちて血となり肉となる瞬間というのは、みんな一人の時なんじゃないかと思うんです。人の話をきちんと聞こうとする時には、一対一になって対話をしますよね。自然も同じで、一人で向き合わないと語りかけてくれないこともあると思うんです。特にノースウッズはすごく寡黙で気難しい相手で、何度も足しげく通ってはじめて、たまにぽつりとつぶやいてくれる感じです。こちらから質問攻めにするわけにもいかなくて、相手が喋りたくなるのをじっと待たなければいけない。そんなふうに、相手をよく知ろうと思えば時間をかける必要があるのです。
湖畔で一人、焚き火をしながら自然との対話を楽しむ、そんな時間が僕は好きです。
本稿を収録した「Coyote No.69 Go Go Picnic! in Newfoundland 島で暮らすための大切なことがら」はこちら。