CD『風の電話』のプロデューサーは大久保正人さん。彼は作曲も演奏もつとめている。もともと藤原新也さんにジャケット写真の提供を申し出たのも大久保さんだった。
「震災の後は地に足がついていなくて、ただ生きるのでせいいっぱいだった。3年目に入ってようやく考える時間ができたように思います。あの震災で失ったものをじっくりと考えると、人との別れや、これからの不安がどんどん募ってきている。今が、明日を生きる希望もなく気が重い」
ある日、大久保さんは仮設住宅を訪ねたときに、おばあさんが数人集まって自分の孫のような年頃の子どもたちに地元の歌を教えているのを見て、昔自分が幼いころにあった光景を重ね、ふと懐かしい思いにかられたという。
「こんな光景は自分が子どもの時にあったきりで最近では見られなくなったと思っていた。歌は消えていっていると。でもこうして仮設住宅に集められたおばあさんたちを通して地元の歌が歌い継がれていることが何よりも嬉しかった」
『風の電話』という歌はここに生きて死者を思うという鎮魂を意味している。
「『風の電話』の歌を聴いたときに清らかなものを感じた」
藤原新也さんは続ける。
「悲惨な出来事から最後に洗われたような清楚な歌が生まれたのかなと思う。例えば蓮の花は泥をかいくぐって清らかな花を咲かせている。この歌は歌い継がれるべきもの。大槌の人々の中でじっくりと歌われていくものだと思う。僕自身物語を書き、写真を撮り、書を書く、でも最後に人間が残すものは歌なのだと思う。フランク・シナトラの歌で『マイ・ウエイ』がある。いろいろなことをしてきたけれど俺には最後には歌があると言っている」
『風の電話』を歌うのがさちさんだ。
「歌うことが好きで、けれど歌うことは自分にとって趣味でした。まさかCDになるとは思わなかったけれど、自分が何かの役に立てるんだということが嬉しかった。ただ流れにまかせて歌ってみたというのが実感です。生きているって悪くないというのが私の思いです」
さちさんと大久保さんのライブがはじまる。柔らかな声、けっしてうまくはない、もちろん歌い込んではいない、しかしどこか心に残る歌だとさちさんの歌を聴いて思った。大久保さんはアコーステックギターと、ときに尺八を鳴らして優しい風を表現していった。尺八の音色は山石のように力強く森を渡っていく。吉里吉里の丘からは三陸の美しい入り江を持つ大槌湾を一望できた。大槌町は震災のときに孤立して長く停電、断水したままだった。佐々木さんは薪ストーブで暖を取り、地下水を飲んだ。明かりは、作りためていた蜜蝋のろうそくを使った。震災前からこの町の防災行政無線の昼を知らせるチャイムは「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングだった。“苦しいこともあるだろうさ、悲しいこともあるだろうさ、だけどボクらはくじけない”ここは井上ひさしの夢見た独立国、輝く土地だった。
スイッチ編集長 新井敏記