友人から1通の手紙が届いた。
パソコンで文面が打たれているので、いまさら何の知らせがあるのだろうかと、いぶかしがる。
拝啓 酷寒の候、お元気でお過ごしのことと思います。
さて、みなさま御存知のわが母●●さん、この1月4日で94歳になります。杖もなく歩き、年齢としては極々元気で、お口も達者でありますが、本人としては、いよいよ終わりも近いと言っております。(実は10年以上前から言いつづけているのでありますが……)
葬式は家族葬でとの本人の意思もあり、お呼びいたしませんが、かねてお世話になって、人生を彩ってくださったみなさまに、生前にひとこと御礼申し上げたいとしきりに申しますので、以下のとおりささやかな御席をご用意いたしました。
ご多用とは思いますが、これが最後と申しておりますので、生前葬と思召して、生き仏様を拝みにお越しいただければ嬉しく思います。
●●さんもみなさんとお目にかかれれば、いい冥土の土産になると思います。寒い季節で申し訳ありませんが、本人は「御礼の会」が「偲ぶ会」になるやもと言っておりますで、取り急ぎご案内を申し上げる次第です。
100歳のお祝いにお呼びしないことを祈りつつ……
敬具
なにやら怪しげな友人の母の生前葬の知らせだった。御丁寧なことに末尾には●●さんの追伸が記されている。
「90歳をすぎてから日一日呆け状態がでてきました。皺皺と呆けとはと、大いに失笑していただければ、ババは幸せです。楽しみにしています」
ババは白寿まで生きるのだろうなと思いながら、友人に喜んで出席の電話をする。
「殺しても死なないよ」
友人は憎まれ口を叩く。そして呆れたように「先日転倒して頭を打ってもババは怪我ひとつしてなかった」と笑った。
「こうなったら長生きして日本記録を目指してほしい」と僕は言った。
「迷惑でしょう」友人はまた笑った。「転倒した時に念のため緊急入院して精密検査をしたのね。ベッドに寝かすと、母は私のおっぱいを触って『いい形してるね。形状記憶装置のようなおっぱいだ』と言うの。『触られていやじゃない?』と母が訊くから『いや』と答えた」
「なんで触ったんだろうね?」僕が言った。
「わからない。でもとっさだった。母はそういう人」
「母なる自然のおっぱいに憧れているのかもね」
「なに、それ」
僕は電話を切った。そしてもう一度手紙を読んだ。そしてはたと思った。
友人の母は、確か88歳の米寿の時に生前葬やっているじゃないかと思い出した。生前葬をやる人が珍しいのに、卒寿を過ぎて2度やる人なんてこの世にいるのだろうか、呆けるではなく呆れた。
スイッチ編集長 新井敏記