「元日の昼前、教えられた通り、省線西荻の駅に降りた私は、徳島の田舎の駅よりも古色蒼然とした小さな駅にほっとした。上京以来、緊張とコンプレックスでこちこちになっていた肩の力がすっと抜けた」
1940年瀬戸内寂聴が17歳の時、東京女子大学入学前に初めて訪れた際の西荻の記憶だった。今から75年前のこと。バス停がある駅前広場を左に歩き出すと、すぐに道幅の狭い街並があり、両側には互いに寄り添うように建ち並ぶ店舗があった。八百屋、果物屋、履物屋の軒先の光景は瀬戸内寂聴にとってはふるさとの街を歩いているようで心が和んだという。
西荻に足繁く通っている。旧知の作家が住む街ということもあり、大好きな漫画家を訪ねるという口実もある。あんこから作る甘味屋も摩訶不思議な骨董屋もある。かつての古色蒼然とした駅は建て替えられ高架となり名店街アーケードは隣接されたが、自転車でそのまま買い物客も通り抜けることもできる様子だ。
街は人々の暮らす様子が近くに見えるほど、ふるさとの情景と同じだと安心感が漂う。東京は田舎者の集まりだという感慨は西荻の懐の深さを思うと一人ごちた。時間を経て土地は姿を変える。低層階のマンションが立ち並ぶ街並に変貌していったが、アメリカの珈琲チェーン店が見あたらないのはこの街を象徴している。昨年荒木経惟が西荻の骨董屋で書の展示と即売を行った。荒木が撮影の小道具に買い求めたアンティークショップなど展示はその数12店舗に及んだ。西荻の街だけでその店舗数に少し驚く。
「ポップなノスタルジーの迷宮」、荒木が西荻を表現した言葉だった。
荻窪の路地を歩く、冴えた遊び心を持つ人にはその迷宮ぶりはうれしいのだろう。それは幸福な時間を取り戻す旅かもしれない。心の襞は単純であり複雑、けれんみもなく、だが人間味に満ちた街はそれを包括してくれる。
スイッチ編集長 新井敏記