6月20日、曇り。画家の黒田征太郎は久しぶりに杉並の野坂邸に足を運んだ。昨年の12月9日作家野坂昭如が他界した。もう一度沖縄を旅して、『忘れてはイケナイ物語り』の続編を書くという野坂と黒田の約束は叶わぬこととなった。
今から13年前、脳梗塞で倒れた野坂は不自由な身体に鞭打つようにリハビリ生活を続けながら原稿を書いていった。時に疲れ虚空を見つめる野坂を黒田は励まし続けていた。
「あなた、治りたくないの。治りましょうよ」
妻暢子の呼びかけに野坂は喉から絞り出すように「治りたい」と呟いた。その声は鳥のような囁きにも似た願いだった。
野坂邸に伺う時、常に黒田は緊張していた。永遠の師、野坂を絶対の存在として肯定する昔堅気からくるものか、そして師が亡くなった今も緊張のあまりに約束の時間より前に着いた。
「暢子さん、大丈夫だろうか」黒田がドアホンを押しながらふと呟いた。
「はーい」暢子の待ちかねたような明るい声がした。
玄関先で黒田を迎えた暢子は庭に面した応接間に黒田を通した。生前野坂が座って客を迎えたソファーが中央に置かれていた。テーブルには焼酎が用意された。
「なんだかまだその辺りにいそうだな」
黒田がぼそっと言った。
「悠々と魂の浮遊、ふてぶてしく逞しく、野坂さんならありうるだろうな、『骨我身峠死人葛』をそのまま生きて」
黒田の愛おしい言葉だった。
気まぐれな神様の作った傑作、昔黒田が野坂を評した言葉だ。その無頼、いつかまた形になることを。享年85、秘すれば花、ではなく死すれば花、その生の執着、実に御見事。宴が長くなることを黒田は覚悟した。
スイッチ編集長 新井敏記