FROM EDITORS「ある夏の日」

写真家の梅佳代と奈良の名刹を訪ねる。紺地に花柄のプリントがまぶしく映えたサマースカートにオフホワイトのブラウスを合わせた梅佳代のセンスは一服の清涼を演出、古都にふさわしいものだった。左肩から水色の日傘をさげ、もう一方の肩からカメラをぶら下げた様子は少しあどけなく、ふと太宰治の掌編「満願」に出てくる女性に似ていると思った。

奈良は暑く、撮影の合間に氷屋に飛び込んだ。氷屋はまるで隠れるような小天地のような場所にあった。お品書きからみぞれ氷あずきを注文すると、セットにとわらび餅と煎茶がついてきた。吹き出すような汗を見て「気の毒に」と、店の人から団扇が差し出された。北円堂近くの坂道にある氷屋の窓越しに境内に向かう人の往来をしばらく眺めていた。

入口近くに置かれた小さな棚にはいくつかのガイドブックに交じって森山大道と荒木経惟の写真集が二冊あった。森山『遠野物語』と荒木『愛しのチロ』だった。氷とわらび餅のような不思議な取り合わせだった。

森山大道に『ヴィヨンの妻』という写真集があったことを思い出した。今日のような夏の日を描いた「満願」をオマージュするような写真集を、梅佳代に作ってほしいと思った。愁いではなく悠々とした世界を梅佳代ならまっすぐに表現してくれると思った。

実際生きるという意味を太宰はくりかえし読者にそして自分に問うていた。生まれてすみませんと「二十世紀旗手」冒頭に懺悔をかかげたと思えば、「ヴィヨンの妻」では最後に若い妻にこう言わせた。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

時に太宰治37歳だった。

「さあ道草は終わり、また撮影に戻りますよ」と、梅佳代に促されて日差しが強い坂道を眺めた。太宰治の作品を再読しようと思って店を出た。

スイッチ編集長 新井敏記