70年代の終わり、東中野にあるモカという小さな喫茶店に何度も足を運んだ。近くに友人が住んでいて、駅近くのモカは待ち合わせに便利だった。白髪の小柄な老婆が主、こつこつと丁寧にコーヒーを滝れていた。モカのコーヒーカップは白くシンプルな小ぶりのものだった。
総武線の線路沿いに面したモカは電車が通るたびにがたがたと揺れた。一匹の三毛猫が赤いビロードが張られたイスに、冬でも夏でも電車の揺れおかまいなしにいつも座していた。
主は常に白いワイシャツで黒のロングスカートだった。シャツは男もので背や袖丈をつめていた。亡くなったご主人の仕立てのよいものをサイズを直し着ていた。袖口のほつれを何度も縫い直している様が愛おしいと感じた。スリムな主の姿は少年のように美しかった。
モカの入口には本棚が置かれ、「それいゆ」が揃っていた。「それいゆ」は中原淳ーが編集長の雑誌で昭和21年に創刊されたファッション雑誌だった。「それいゆ」とはフランス語で太陽という意味だった。表紙絵には中原淳一、藤田嗣治、長沢節のクレジットも見られた。中原は画家、ファッションデザイナー、スタイリスト、インテリアデザイナーとしての顔をその雑誌で見せていた。
「中学生のころはどんな少女だったのですか?」
かつて川久保玲にこう訊ねたことがあった。本好きで夢見る少女だったのでは?と指摘すると、彼女は不器用に微笑んだ。
「中学生のころ、わくわくして持っていたのは『それいゆ』だった」
1969年、コム デ ギャルソンは川久保玲が自分でいいと思ったものを作って、自分たちでタグをつけて、いいと思う小さな店に自分で営業をかけて卸していた。美と冒険は隣り合わせだった。
スイッチ編集長 新井敏記