この冬、宮古島を旅していった。
ピーター・バラカンが出前ラジオと称して宮古島の地元の若い人たちとイペントを開催すると聞いて文字通り飛んできた。場所は農村改善センターという海沿いに立つ公民館だった。観客もゆうに100人は超えていた。ゲストの一人に輿那城美和さんという宮古島民謡の唄者がいた。
初めて生で聴いた輿那城さんの声が魅力的だった。
バラカン登壇前、輿那城さんはコントラバスの松永誠剛さんと組んで3曲ほど歌を披露した。2人は『Myahk Song Book』というミニアルバムを今年発表していた。Myahkとは宮古のこと、コントラバス奏者の松永さんは輿那城さんと出会い、彼女の歌唱力に惚れ込んでいった。宮古島にあった古謡、三線かまだ宮古島に入る前のアカペラで唄うスタイルを取り入れ、宮古島の古い民謡に松永さんはゆったりとしたバラード調のアレンジを加え新しい息吹を与えた。この旋律が今、宮古島の歌謡の豊かな世界となって物語を作っていく。海に囲まれた島の風土が培ったような輿那城さんの声、潮で鍛えられた喉がまさに海鳥の鳴き声のように悠々と風を渡っていく。
その高音の豊かなハリ、伸びやかな艶やかな声は島を囲む群青の海のように透明で深い。その歌に心ふるえ感動を覚えていった。
余韻が残る2曲目、松永さんはいきなり山田耕筰の「この道」のワンフレーズを弾き始める。その様子に輿那城さんは静かに答えるように「この道はいつかきた道」と唄う。
まるでエチュード、松永は2小節目のフレーズを弾く。
「この道はいつかきた道、ああ そうだよ、あかしやの花が咲いてる」
輿那城さんは一番を唄い切ると目頭を手ぬぐいで拭う。彼女はいっそう高い声を張って母を誇るように凛としていた。
この日の昼間、彼女の母の告別式だったのだと後で聞いた。母とよく一緒に唄った「この道」、北原白秋が語った北の物語。輿那城さんが唄うことで母と娘の美しい切ない物語は涙ぐましい群青となって空に舞う。
スイッチ編集長 新井敏記