見知らぬ街で居心地のよさを感じるには、一軒の小さな本屋と喫茶店、それに映画館があればいい。熊本市には橙書店があれば長崎次郎書店もある。そして電気館という百年も続く映画館がある。旅先で映画を観る、ささやかなぜいたくだ。
4月、ハリー・ディーン・スタントンの遺作『ラッキー』を電気館の12時の回で観た。物語は九十歳の気難しい現実主義者ラッキーの日常を描いている。派手な展開は一切なく、テーマは全ての者に訪れる死という現実。
アリゾナの小さな町にひとりで住むラッキーの朝は起きぬけの体操から始まる。5ポーズ、21回をこなすと、コップ一杯のホールミルクを冷蔵庫から取り出して飲む。茶色のチェックのウエスタン・シャツにハーフ・ジャケット、ジーンズにカウボーイブーツを履きテンガロンハットが、ラッキーのいつもの出で立ちだ。彼はベンケイチュウ・サボテンを縫うように煙草を吹かしながらダイナーに出かける。その時ラッキーの姿は映画『パリ、テキサス』のトラヴィスに重なるようだ。
店に入ると彼は一杯のコーヒーを注文し、マーケットに置いてあるフリー・マガジン巻末のクロスワードパズルに没頭する。あたたかなウェイトレスはあらかじめラッキー用にと、マグカップに二杯の砂糖を入れて差し出してあげる。馴染みの客やホールスタッフとの気の置けない談笑。そして確実に毎日の中でラッキーの人生は終わりに近づいている。
「孤独と一人暮らしは意味が違う」
ラッキーはある時こう言う。「人はみな生まれる時も死ぬ時も一人だ。一人(alone)の語源はみんな一人(all one)なんだ」
カントリーシンガーであるハリー・ディーンの歌がラスト近くに披露される。メキシコのヒット曲「Volver Volver」、もう一度君の腕に戻りたいと一瞬の輝きを歌う彼に涙を流す。
映画のパンフには1989年12月のスイッチのハリー・ディーン・スタントンのインタビュー「大地の芳香」が無断掲載されていた。読み返すと『ラッキー』に通じる死が語られていた。
「一人でいて死について考えることがある。死に対する恐れを克服することができるだろうかと」
ハリー・ディーン・スタントン、享年91。まさに月に輝く男だった。
スイッチ編集長 新井敏記