“紙でできること全部”からラジオをはじめた。J-WAVEで毎週土曜日23時から「RADIO SWITCH」と銘打った1時間番組だ。SWITCH、Coyote、MONKEYという3つの雑誌を軸に、“スイッチインタビュー”として毎回ゲストを迎えたコーナーや、レイニーディでの公開ライブ、ブロードキャスターのピーター・バラカンのDJと話題を集めている。
先日SWITCH創刊当時のアートディレクター坂川栄治を番組ゲストに迎え対談を行った。85年SWITCHの創刊は全ページモノクロで96ページからのスタートだった。特集はサム・シェパード、俳優でありジャズミュージシャンであり、作家である彼の活動を追った。
サム・シェパードに会うために映画監督ヴィム・ヴェンダースに会い、サンタフェに住んでいると聞いて国際電話をかけた。「サム・シェパードの登録は4件あります」と交換手は言う。その4件、片っ端から電話をかけた。子どもが出た家もあれば、水道工事業者もいた。留守電の家もあった。受話器に耳をあてるとジージーと音が聞こえ、太平洋の深海を渡るケーブルをクジラがかじっていると思い浮かべながら不在のサム・シェパードという生き方に希望を見出していく。
会わざる特集、表紙は映画『ライトスタッフ』のポジをブローアップした。坂川は嬉々として冷蔵庫の残り物で料理を作るように、ありもの写真に大胆なレイアウトや奇想天外な文字組で読者を飽きさせなかった。カルチャーマガジンが物珍しかったのだろう、3千部刷った創刊号はすぐに完売した。挟み込んだ読者カードの戻りは2千通をこえ、一枚ずつ返事を書いた。
誰もが知りたい思いは決まっていた。次にどうなるか知りたいのだ。
雑誌はいつかなくなるメディアだと言われている。2018年に休刊となった雑誌は百誌を数える。本当に簡単に死ぬ。形あるものいつかは終わりを迎える。しかし紙でしかできないことはある。この時代の感受性を生きる。新しい酒が発売されても丹誠を込めたワインが美味しくその土地の香りを豊かに湛え、光を放つように。
スイッチ編集長 新井敏記