FROM EDITORS「花のように雨を切れ」

この夏、沖縄の友人から貴重なマンゴーが贈られてきた。箱を開けると甘い特有の香りが鼻をくすぐる。インド原産のこの果実の歴史は古く4000年を超えると聞く。たとえばアルフォンソ・マンゴーは春に実り始め初夏に収穫の時期を迎え、雨期に一気に熟する。雨を欲する人の思いか、この時期の雨をマンゴー・レインと呼ぶ。

マンゴーの思い出がひとつある。1995年の4月のこと、俳優のハーヴェイ・カイテルをニューヨークのスタジオで待っていた。スタジオのテーブルには彼が好きだという食べ物を並べた。シナモン入りのべーグル、ツナサラダ、ホールチキン、生ハム、そしてコーヒー。コーヒーはカプチーノが彼の趣好だと聞いていた。

約束の時間は正午。10分程過ぎてドアが2度ノックされ、ハーヴェイの登場となった。グレーのジャケット、パンツ、ネイビーブルーのシャツ、裸足にデッキシューズを履いていた。

「今日はインタビューだけで撮影はしない」。開口一番彼の台詞だった。

「鼻にできものができている」

焦りを抑えつつ僕は彼が出演した映画『スモーク』の素晴らしさを伝えた。「だからあなたを表紙巻頭に迎えるのだ」。ハーヴェイは食べ物を並べたテーブルに座ると、ここでインタビューと撮影をしろと言う。「ここなら撮影してもいい」と取り繕った。急いでライティングを準備し、テーブルが舞台となる。

咽が渇くのか、彼はカプチーノをお代わりしていった。とうとうカップが空になると、僕は新しく買いに走った。

「だったらマンゴーも買ってきてくれ」と彼は言う。この時期マンゴーなんてあるものか、でも機嫌良くインタビューと撮影に応えてくれている彼のリクエストをむげにはできない。僕はソーホーの果物屋に走った。何軒もまわり、とうとう韓国人経営の果物屋にすがった。「マンゴーは高級だから、ディーン&デルーカに行け」。ディーン&デルーカがまだ日本に入る10年近くも前のこと。ソーホーのディーン&デルーカは旗艦店で高級食材はなんでも揃うという。実際マンゴーは高価な値段を誇って奥のショーケースに置かれていた。マンゴー二個、カプチーノを二杯、彼のために買った。

踵を返してスタジオに戻った僕にマンゴーを切れと彼は命じた。僕はメロンのようにまず縦に半分に切り、種を取り、縦に二等分して、さらに半分に切った。するとハーヴェイが「なんだその切り方は」と声を荒げた。彼は「花を咲かせるように切れ」と僕に言った。彼はナイフを僕から奪うと、中央の平たい種を避け、まるで魚を三枚におろすようにマンゴーにナイフを入れた。そして切った面にさいの目状に切り目を入れた。そして僕の前に突き出して、両手で皮を押して果肉を反り返した。美しいと思った。

「これで花のような形になる」

そして僕に食えと差し出した。

「あなたのために買って来たのだからあなたが食べてください」

「いや、もう食べる気がしなくなった。インタビューを続ける」

ハーヴェイはそう言うとカプチーノに口をつけた。「ぬるい」とまた文句が聞こえた。誰もそのマンゴーには口をつけなかった。時間がたつと果実の汁がこぼれるように皿を濡らしていった。

その日のニューヨークはマンゴー日和のように小雨が朝から降っていた。マンゴー・レインなんて言葉は当時僕は知らなかった。

スイッチ編集長 新井敏記