FROM EDITORS「青柳恋し」

西麻布に青柳という和菓子屋がある。ここの大福は水飴など加えていないので日持ちはしない。硬くなれば鴎外にならってお茶をかけて食べても、焼いて食べてもいいだろう。

冬の季節にはいちご大福が名物で女性客にファンも多い。ただ残念なことにここ数年店主の年齢もあり体調をくずして店を閉じていた。季節をめでる和菓子、昨年の春には青柳の柏餅が恋しくなった。

その青柳が最近金曜土曜の週2日間だけ、店を開けている。店に立ち寄ると自慢の赤飯も置かれていた。和菓子屋のお赤飯、しっかりと蒸された餅米がもちもちして美味い。青柳の店主に聞くと「室町時代は餅、栗、蜜柑などと一緒に赤飯も菓子として扱われていた」と言う。江戸時代になると宮中行事に赤飯が欠かせないもので宮内庁御用達の和菓子屋が納めていたのだ。

週2日のみの営業を機に、店主は店を少し改装した。お店のスペースを半分、自分の書斎にして商品棚をそのまま本棚として活用していた。どんな本があるか、青柳に行く楽しみとなった。店主は詩を読むことが好きらしく、いつも机には読みかけの杜甫や李白の漢詩の本が置かれていた。漢詩の中でも一番好きな詩人は誰かと店主に聞くと「古代名詩を仰ぐ」と言い、「君に勧む 更に盡尽くせ一杯の酒を 西のかた陽関を出ずれば故人無からん」と詠った。まるで詩吟のように見事な声だった。教養のなさに頭を下げて、誰の漢詩かと聞いた。

「唐代の詩人王維の七言絶句の名句だ」と店主は言う。王維の漢詩は友人との別れを詠った惜別の詩だった。

「長安にあって別れの言葉、さあ、さらに飲みほしてくれたまえ、もう一杯の酒を。西のかた遠く陽関を越えてしまったなら、もう共に酒を酌む親しい友もいないだろうからと送る。西のかた陽関を出ずれば故人無からんを三度繰り返す。陽関三畳とこれを言う」

「羊羹?」僕が真顔で聞くと、「陽関」と、店主はやれやれと言った表情を浮かべて呟いた。

いちご大福を5個注文すると、店主は嬉しそうに「娘が店を継いでくれると言うのでなんだか元気になりました」

「娘さんは?」

「今会社を終えてから和菓子の学校に行っています」

送別ではなく出迎えの漢詩とは何か、次は聞くことにしよう。王維の歌を何度も心で繰り返しながら僕は思っていた。

スイッチ編集長 新井敏記