明日誕生日を迎える友人にどんなふうに過ごすかと訪ねた。自分の好きな映画を家族で観ると彼女は答えた。働く彼女は母であり、子供は三人、みな成人したが、それぞれの誕生日には家族が集まって誕生日の人のリクエストの映画を観るという。子供は男三人で、家族の中で女は彼女だけだった。夫は既に亡くなっている。息子たちと彼女とでどんな映画を観るのか、ふと興味が湧いて映画のタイトルを訊いた。
彼女は「恥ずかしい」と笑った。もう決めていると彼女は答えた。今年はコロナ禍で映画館に行くこともままならず、また彼女が観たい古い日本映画は配信のリストにも上がっていないので、彼女はその映画のDVDを買ったという。
誕生日でなくとも、この先繰り返し観る映画だから惜しくないと続けた。ふとそんな習慣があったら自分はいったい何を観るのだろうかと考えた。家族に何を一緒に観てほしいのだろうか、と映画をリストアップしていった。
一番最初に一人で観た映画はどうだろう。離れ島に一人で行く時に持っていく映画なら何を選ぶだろうか、自分と重なる映画を選ぶのはどうだろうか。観たい映画のタイトルを全部紙に書いてみた。でもその数十本では満たないと思った。
僕の父方は代々東京で映画館を営んでいた。「シネマパレス」という神田にある映画館だった。小さい頃その映画館で観た作品を思い出していった。子供には全くわからなかったがベルイマンの一連の映画。映画館閉鎖の時、最後にと父が選んだ映画は『戦艦ポチョムキン』だった。エイゼンシュタインの無声映画で、映画館で働いている芸達者な人が演奏をつとめ、僕もハーモニカで駆り出された。なぜこの映画だったのか、当時はわからなかったが、映画への父の永劫の別れだと今は理解することができる。
沢木耕太郎さんが映画評論家の淀川長治さんと対談された時の言葉が脳裏に浮かんだ。淀川さんが皇居を訪れ、平成天皇にお目にかかった時、明仁天皇はヴィスコンティが好きだと言われ、美智子皇后はウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』が好きだと言われたという。皇后はご自分をオードリー・ヘップバーンになぞらえたのかもしれない。
友人はいったい何を選んだのだろう。僕にとっての一本は、この原稿を書きながら決まったように思う。
映画の選択でその人の軌跡を知る。大切な誕生日の儀式だ。
スイッチ編集長 新井敏記