FROM EDITORS「イサムノグチは嫌い」

この春から夏にかけて彫刻家イサムノグチの展覧会が、東京都美術館で行われた。大型の彫刻をはじめ、およそ90の作品が集まった。自然と通底する抽象のフォルム、いつか訪れたいと思っていた香川県高松市の牟礼町で晩年イサムノグチが制作した石彫群が初めて東京で展示されるというので、コロナ禍による入場制限のなか、会場は予約客で溢れていた。

かつてないノグチ空間の体感型展示を誇るという美術館のふれこみ、なるほど案内スタッフの多さに驚いた。案内人は密を避けるために展示作品に人が集まらないよう注力し、会話を禁止していた。張くような声で会話をする二人の間にもすかさず「シー」と口に手をあてる。可哀想なのは家族連れだ。子供が母親に何か問いかけようとすると、案内人がやってきて「シー」と会話を遮断する。何度も「シー」とされるので母親は我慢できずに子供を叱る。子供は泣く。悪循環だ。なんだかコロナ禍で失った文化が日本はあまりにも多いようだ時を刻む無粋な形を好んだ石彫作品には謎がたくさんあって、子供は不思議な存在だったのだろう。しかし「シー」は冷たい命令調で好奇心の芽を摘んでいく。

会場2階、イサムノグチが日本伝統の提灯や行燈にヒントをた光の彫刻シリーズ「あかり」が人気だった。150灯を用いたインスタレーションは撮影も許されている。インスタ映えを狙って撮影する携帯の音がここでは異常なくらいに鳴り響く。その音は嫌いだ。遠く離れて片隅に展示されている晩年の彫刻の前に立った。野外アトリエに展示されている作品で石匠和泉正敏がサポートしたものだった。作品には無骨な石の真ん中に穴が空いていた。台座から離れて僕はその穴を上から覗き込もうとした。すると案内人が近づいて「上から覗かないでください」と僕に注意をした。びっくりして案内人の顔を見た。「作品の台座から超えてはいけません」と声をかけられた。もちろん触るつもりはない。まるで作品の空中権を主張するように上から覗き込むなと叱られた。ここではなく、和泉石彫作品が展示されているシカゴ美術館や台湾の故宮博物院に行こうと思った。ここよりはもっと自由に見れるだろう。石の彫刻は触ってこその価値があると僕は思っている。後生大事にされた石彫も牟礼町では野ざらしに展示されている。

「価値あるものはすべて、最後には贈り物として残るというのはまったく本当です、芸術にとって他にどんな価値があるのでしょうか」

そのイサムノグチの言葉を僕は冷ややかに受け止めた。イサムノグチの行灯は完売していた。帰りしな図録を買い求めた。すぐに見たい作品があったのでビニールの包装を破き、「これを捨ててください」と会計の女性に渡度した。「ビニールはお預かりできません」と言われた。「預けるのではなく捨ててほしい」と言うと、また同じ言葉を彼女は繰り返した。ここで買ったのにと言いかけたが、あほらしくなって勝手に破いたビニール包装をポケットに入れた。

スイッチ編集長 新井敏記