机の傍にいつも岩波文庫の谷川俊太郎さん選による「茨木のり子」の詩集がある。真夜中原稿に向かう時にどのページでもいいから一篇読んでみる。読むとなんだか背筋の伸びた気がする。頭の体操なのだ。谷川さんによる茨木さんの詩の解説も深い。谷川さんは茨木さんの詩を音楽の小品集のように捉えていた。たとえば「わたしが一番きれいだったとき」の五番と六番と最終節はない方がいいと谷川さんは指摘する。
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
全部で七番からなる詩のこの五番と六番と最終節がなぜいらないのだろうか、ずっとわからないでいる。棘のような生々しい感情の起伏に魅かれるこの節が、いらないとわかるのはいつのことだろうか、と思いながら、今夜は「三月の唄」を開いた。短い詩だ。
わたしの仕事は褒めること
リラの花を ジャスミンを
眠そうな海
開く窓
遠く行く船
ふとる貝
わたしの仕事は褒めること
おしゃれなちびや
野を焼く匂い
子供のとかげ
伸びる麦
奔放なむすめの舌たらずの言葉
詩はその二番で終わる。
わたしの仕事は褒めること。まるで編集者の仕事に似ているではないかと思うと少し嬉しくなった。「三月の唄」のその続きを書くことを願った。谷川さんのように削ることはできないけれど、続きの物語を生きることならばできるかもしれないと思った。
スイッチ編集長 新井敏記