白磁は、白色の粘土の素地に、植物灰と高陵石から精製された透明釉薬を掛け、1300度もの高温で焼き上げる。 熊本県天草には白磁工房が数多くある。天草陶石と呼ばれる熊本県天草産の陶石で作られた白は濁りがなく、透明感のある美しさを誇る。天草は高浜で「久窯」という白磁の工房を開いている男がいる。陶工は江浦久志。江浦は韓国の李朝の白、中国の唐の白、オランダのデルフォトの白と白磁の無垢なる世界への探求を繰り返し薄くても欠けにくい器を作っている。
例えば寓話をモチーフにした皿。日本ではじめて天草地方に伝わったというイソップ物語をポルトガル式ローマ字で再現し、ゴム板で印字を作り、文字一つひとつを刻印していく。できあがった皿は天草陶石の透明な光を放つようだ。
前触れなく 「久窯」 を訪れる。彼なら留守をすることはあまりない。夏の盛り、暑くて工房で轆轤を回さずに午睡をむさぼっているだろうと高を括る。気まぐれで作品数も少ないが、彼の作品が好きでミラノでミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を見た時、彼にショートメッセージを送った。
—— イエスを抱くマリアではなく、ぼくにはマリアを背負っているイエスに見える、それ かどちらもよりかかることなく立っているのかもしれない ——
この日も「久窯」の作業場には誰もおらず、「こんにちは」と母屋に声をかけると「はーい」と奥から寝起きのような声がした。久窯には作品が数点陳列されていた。 沓形の白磁の丸鉢が面白く買い求めた。最近白濁の器に興味があると彼は続けた。彼の新作をしげしげと眺めもう一皿買った。小皿ながら少し重く感じた。6世紀の宋の時代まで彼は向かっているのかと思った。
「崎津の教会にはもう行った?」江浦が話を変えた。
「通り道だったので寄ったよ」と僕は頷いた。「崎津に寄りたい店はなかった」と軽口を叩くと、江浦は小さく頷いた。
そして「俺、・・・・・したんだ」と彼がつぶやいた。最初改心と聞こえて驚いた。改宗だったか、うまく聞き取れなかった。話によると江浦家はもともとは曹洞宗だったそうだ。驚きもなかった。改心ならぬ改宗、彼の信仰には興味はなかった。
天草は東シナ海と有明海、不知火海と呼ばれる八代海に囲まれ、大小120の島々からなる諸島である。かつてキリスト教の布教が盛んに行われた。日本で最初にイソップ物語が流布されたのは1593年のこと。宣教師によってグーテンベルク印刷機で刷られた物語の刷り部数は1000部を数えたという。その部数から布教活動が盛んであったことが窺える。キリスト教の布教が広がることで弾圧が行われ、島原・天草の乱の悲劇も起こっていく。今では崎津の集落や史跡、その歴史が世界遺産となっている。天草の羊角湾を一望する集落に崎津教会がある。江浦は先ごろこの教会に入信し、毎週日曜に行われるミサの鐘撞係に就任したと彼は話を続けた。
「天主堂の鐘を鳴らす紐が意外に重いんだ」
すこし微笑む彼の姿に安心した。崎津教会のミサに参列する集落の人々は今は十人にも満たないが、江浦は鐘撞係に誇りを感じている。いつか彼の鳴らす鐘の音を聴いてみたい。白磁のように透明な音が響きわたるのだろうか、その音を想像するように彼の鉢をコンコンと指で撞いてみる。
スイッチ編集長 新井敏記