FROM EDITORS「東海林太郎の歌」

小学4年生の時、夏休みを利用してひとりで大阪の天王寺の親戚の家に2週間ほど遊びに出かけた。その親戚の家には僕より4歳上の男の子と6歳上の女の子がいた。そのいとこに案内されて甲子園に高校野球を見に行ったり、奈良のドリームランドに出かけたりした。

ある日、いとこには夏季授業があり、昼間ひとりきりになった。僕はいとこの自転車を借りて、近所に出かけた。天王寺の一角、阿倍野は坂道が多く、谷あいを縫うようにチンチン電車が走っていた。松虫という小さな駅を越え、しばらくペダルを漕ぐと、大きな公園にぶつかった。ベンチを見つけて腰をかけ、吹き出す汗を払って濡れた手をズボンで拭いた。

ベンチでぼおっとしていると音楽が鳴り始めた。マイクスタンドの前に振袖の着物姿の女性、それも老婆が歌いはじめた。美空ひばりの「柔」だった。老婆を遠巻きに囲むように人が立っている。老婆の歌が終わると、次の出番の男がマイクの前に立つ。小さなスピーカーから流れる歌は 「荒城の月」だった。年末になるとなぜか父がよく聴いていた歌ということを思い出した。

「大阪には西洋音楽はあわへん」女の威勢のいいヤジが飛んだ。

「かまへん」

東海林太郎ばりにまっすぐに立って歌う男を応援する男の声がした。

「やめろ」

「かまへん」

その掛け合いに周囲の人が大きな声で笑っていた。

家に戻ると 「勝手に出たらダメ」 と、親戚にひどく怒られた。あそこらへんはこわいところだと言うのだ。「よく自転車盗られなかったな」といとこも頷いた。

「悲しくて辛いところだから行ったらあかん」

叔母は僕に念押すように強く言った。

でも僕は、その翌日親戚には内緒でふたたび公園に出かけていった。何かもっと楽しいことが見つかる気がした。その日が、僕が大阪を好きになった時だった。ふと見ると昨日の東海林太郎がベンチに座っていた。そろそろと近づくと東海林太郎が言った。

「昨日もいたな。近所か?」

僕は首を横に振る。

「だったら、動物園を見せてやろうか、ただし5時過ぎたらな」

東海林太郎はそう言うと歯の抜けた口で笑った。

スイッチ編集長 新井敏記