FROM EDITORS「こころの旅」

和田誠さんの著書 『お楽しみはこれからだ』 のPart2で、ミュージカル映画『ザッツ・エンターテインメント』の冒頭、ナレーターのフランク・シナトラが観客に語りかけるシーンを取り上げている。

「ミュージカルのストーリィは単純ですが頭で考えさせるのではなく、心に訴えるのです」

和田さんは、このシナトラの言葉こそミュージカル映画の魅力だと、拍手を贈っている。

家の近くに夫婦で営む小さな電気屋がある。大型の家電量販店に押されて価格競争などに到底敵わないが、彼にはきめこまやかな営業力がある。老夫婦や、一人暮らしのお年寄りの家にとって電気屋は本当に大切な役割を担っている。ささいな故障はもとより、インターネット環境の相談にも、嫌な顔ひとつせず、彼は足を運ぶ。昔の電気屋はメーカーと直結して専門指定業者としてそのメーカーの商品しか扱わなかったが、今は家電を取り巻く世界も変わって、電気よろず相談受付が大事な仕事となっているのだ。

ある時、電気屋は一人の老人から呼び出しを受けた。早速バイクで向かうと、老人は彼にこう言った。一軒屋を手放して施設に入ることにしたので、家のものを処分したい。老人は薬品会社の重役だったが、大学時代は映画研究会に入るほどの映画好きで、現在も千本以上の映画ビデオのコレクターでもあるのだ。でも引っ越しを期にそれもさよならすると老人は言い、その処分を君に任せたいと伝えた。ここですぐに処分業者を呼ばないところがいい。何が録画されているのか、電気屋の倉庫に持って帰って確かめようと思ったのだ。もったいない、老人なら貴重な映画も持っているかもしれない。ここから彼の映画好きが芽生え始めたのだ。破棄するのではなく、DVDに焼きましょうと彼は老人に提案した。収納スペースも少なくて済みます。老人が答えた。でも残りの人生もうこんなに観ることもない。しかし彼はこう老人に言った。このコレクション、私にください。私がこのコレクションの中から100本を選んでDVDに焼きます。いつか映画を観ながら映画のことを教えてくださいと。老人はやれやれという顔を浮かべた。でも電気屋は老人のその時の満更でもない表情を見て取った。

その日から電気屋は仕事を終えてから、1本約180分あるテープをチェックしDVDに焼いていった。3カ月後、電気屋は老人のもとを訪ねた。そして1枚の紙を手渡した。紙には全部で12の映画作品がリスト化されていた。

邦画篇 『浮雲』『無法松の一生』『夫婦善哉』『人情紙風船』『幕末太陽伝』『真空地帯』『又旅』。

洋画篇 『灰とダイヤモンド』『モダン・タイムス』『戦艦ポチョムキン』『紅いコーリャン』『ふたりの女』。

老人は彼に問うた。このリストは私の持っていない映画ではないか? 電気屋は真顔でこう答えた。はい、なかったです。りっぱなコレクションなのに、なぜか抜けていた。そこにない映画作品をリスト化しました。あなたがこれから観るべき映画です。調べるとこれらの作品は、レンタルもセルもないようなので、わたしが時間をかけてお得意さまに当たります。もし逆にお得意さまがあなたのコレクションを観たいと言われたら、それをお貸ししてもいいですか?

もちろん、と老人は言い、こう呟いた。 『戦艦ポチョムキン』 をもう一度観たいな。

スイッチ編集長 新井敏記