友人の画家が、神田須田町でオリジナルの服を売る工房の2階で個展を開くというので出かけた。工房の開店は11時半、少し早く着いたので須田町界隈を歩くことにした。
この町は江戸時代には神田川を舟運の拠点として交通、物流の要として発展し、明治になると東京有数の繁華街となった。一画には戦災をまぬがれた江戸から明治にかけて創業された老舗の飲食店、「いせ源」や「ぼたん」、「やぶそば」などが軒を連ねている。
かつてこの近くに「シネマパレス」という、わたしの祖父がはじめ、父が継いだ映画館があった。わたしは小さい頃からよく父に連れられてこの町に来ていた。
一本通りの向こうに「ショパン」という喫茶店がある。そこでわたしは工房の開くのを待つことにした。ドアを開けるとショパンのスケルツォが店内に鳴り響いていた。父は少し遅めの昼食の後、ここでコーヒーを飲むのが習慣だった。わたしはメニューを見てブレンドを注文した。「少し濃いめですが、いいですか?」と店員に訊かれ「はい」と頷いた。「ミルクと砂糖は?」とさらに訊かれ「砂糖だけ」と答えた。この店のコーヒーは何杯もまとめて大きなネルドリップで淹れておいて、注文のたびに温め直す方式だった。ショパンのコーヒーは濃い。かつ置いておくとコーヒーは苦くなる。だから父はいつも砂糖を2杯入れて飲んでいた。白い厚口のコーヒーカップを口元に近づけると淹れたての甘い香りが鼻腔をくすぐった。「ショパン」は昼時ではなく、朝早くに来るに限る。
友人の個展は、初日ということもあり賑わっていた。わたしは挨拶をすませ工房を後にした。さきほどから行きたいところが脳裏に浮かんでいた。「万平」というとんかつ屋で、この店もまた父の気に入りの店だった。丸いアルマイト皿にキャベツが盛られてその上にとんかつが乗っている。今考えれば洋食風で、この店が、私の外で食べるとんかつデビューだった。定食には、豆腐の味噌汁とキャベツの浅漬けと香のものが添えられていた。ようようと店の前まで来ると、「万平」という看板もなく、シャッターが閉められていた。店の場所が違っているのかもしれないとスマホで確認すると、「万平」はコロナの影響で2020年に閉店したとあった。
10年前に来た時のことを思い出した。父に連れられてきた時とは全く違って無愛想な店主の対応が印象的だった。むすっとお茶が差し出された。「ここはとんかつ定食ではなくヒレかロースを頼むのがいい」と父の言葉を思い出した。「とんかつ定食のかつは薄いのだ」と父は言っていた。わたしは父の好きだった「ヒレかつ」を注文した。父はウスターソースを好んだ。父を真似てたっぷりとコロモにソースを絡ませると、それを見た店主がますます不機嫌な表情を浮かべた。父に倣ったとしても、私は父ではなかった。父には息子のように接していた店主がわたしには無愛想で、それが素直にうれしくて、とんかつ好きな父が足繁く通う親密な関係が思い出された。名画座であった「シネマパレス」は1965年に閉館した。父は果たしてその後、何回この界隈を歩いたのだろうか。
スイッチ編集長 新井敏記