「アライさんは洋食好きよね、ハンバーグとかエビフライとかポークソテーとか・・・・・・」
知り合いは電話でこう切り出した。「白金の北里通りに最近出来たレストランに飛び込みで入ってみたのね。店のおすすめはと店主に訊くとハンバーグがよく出ますと言うので、注文したらこれがとても美味しくて。また行こうと○○日に予約を入れたの。一緒に行きましょう」
店の名前を訊ねると、エドヤだという。エドヤなら麻布十番の老舗の洋食屋だった。でも今ではその店はない。当時スイッチが南麻布にあったことで、昼も夜もけっこうな頻度で通っていた。知り合いにそのことを伝え、その誘いに乗った。翌日早速、僕の分を予約に追加した際に、麻布十番にあった洋食屋と同じ店だと確認したと知り合いから連絡があった。あのエドヤのハンバーグがまた食べられると思うとうれしく、コーンスープに野沢菜の炒め物がサービスについたことを懐かしく思い出した。
約束当日にエドヤに向かった。開店時間を待って知り合いと僕は一番に店に入った。店主は僕を見やると少し驚いたようで頭を軽く下げた。カウンターにいる女性は店主の妻なのか、「お久しぶりです」と声をかけてくれた。何年も前だというのに、その一言が誇りに思えた。店は予約客でいっぱいのようで後から来る飛び込みの客は全部断られている。僕たちはカウンターの席に案内された。メニューを見る。ハンバーグとエビグラタン、ポークソテーはそのままだ。ただしお目当てのコーンスープはなくなっていた。思えば麻布十番時代の後半には、店主だった父は厨房から引退し、息子である今の店主に引き継がれていたのだ。店の場所が変わることで、はっきりと代替わりを果たしていたのかもしれない。僕たちが食べ終わるころ、カウンターの隣の席に老女と中年の女が座った。親子なのだろう、老女を気遣うように中年の女はメニューを見て、オーダーを告げた。その注文を店主の妻は繰り返した。母はハンバーグ、娘はエビフライ。しばらくして、老女の前に注文の品が置かれた。彼女はゆっくりと右手にフォーク、左手にナイフを持ちながらハンバーグのまず真ん中を切って、肉汁を確かめるように碁盤の目のように四角くカットして一つひとつ食していった。次に彼女はフォークの背にライスをナイフで添えて、肉と同じような一握りのサイコロほどの大きさにして器用に置くと、ゆっくりと口に運んだ。
このライスの食べ方、父と同じ仕草であることが急に脳裏をかすめた。僕の洋食好きは父の影響なのだろうと、一人ごちた。その食べ方の記憶が蘇ってきた。フォークの背にライスを乗せる食べ方を僕は父から教わった。偏食だった父はフライが好きで、エビフライとロースカツが一番の好物だった。エビフライはタルタルソースにウスターソースを少しつける。カツはウスターだった。ライスを小さくしてフォークの背に乗せるやり方は子供には難しく、フォークの凹んだ腹にそのまま ライスを乗せる方が楽だし、動作に無理がないと思っていた。大人になってその食べ方を調べたことがあった。イギリス式だと記した資料もあった。でも昔はイギリスにはライスを食する文化はなかったはずで、これは海外から伝わった間違ったテーブルマナーではないかと思った。でもその間違いは果たしてどこから来たのか、まだ確かめたわけではない。でも目の前の老女が実にゆったりと優雅に食べる仕草はなんだか完璧なマナーだと思った。父の仕草もそうであってほしいと願った。僕はカツは中濃ソースの甘口を好むが、時々エビフライには、タルタルとウスターを絡めて食べる。
スイッチ編集長 新井敏記