写真家操上和美がこの1月19日で88歳、米寿を迎えた。
「米(よね)の祝い」には、操上さんの親しい方々が集い食事会が行われた。最後に『Kurigami88』という私家版の写真集がひとりひとりに手渡された。表は背中、裏はレントゲンの操上さんの写真があしらわれている。長寿の決意はまだまだ攻撃的だ。操上和美の代表作が並べられている私家版をしげしげと眺める。小誌で操上さんに依頼したポートレイトもたくさん見受けられた。
私が操上さんに出会ったのは1988年のキース・リチャーズの取材だった。場所はニューヨーク。キースのインタビューは他にメディアはなく、世界で唯一のものだった。当初キースは写真家にリチャード・アヴェドンとアーヴィング・ペンを指名した。二人を断る理由はないが、何ページにもわたることを視野に撮られた写真を誌面にする際に、制約がなく自由に展開したいという希望もあり、私は日本の写真家操上和美を候補にあげた。そして彼の写真をブックにしてキースに送った。ほどなくキースから操上和美で撮ることを了承された。テーマは「ジャズのような自由な旅」と決めた。
パリでの撮影が直前に入っていた操上さんに、パリからコンコルドでニューヨークに飛んでいただいた。狭いうえに振動で腰を痛めたと、操上さんには軽口を言われたが気にしなかった。キースが白ホリのスタジオに持参したのはギター1本だけ。スタイリストもヘアメイクもなし、モノクロの肖像写真はまたとないドキュメントになると確信した。特集タイトルは「ならず者の詩」として1988年12月の小誌のカバーをキースが飾った。このフォトストーリーはアメリカとイギリスの雑誌が掲載権を買いにきた。キースからはオリジナルプリント5枚のリクエストが届いた。大事な家族に贈りたいのだという。何より最高の褒め言葉で、キースの特集は小誌の誇りでもあった。
それ以降操上さんにはロバート・フランク、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ、デニス・ホッパーなど錚々たる「ならず者たち」を撮っていただいた。日本でも内田裕也に勝新太郎、大江健三郎、北野武と続いた。私家版を眺めながら、無頼を追いかける旅をもう少し続けたいと思った。果たしてどこに無頼がいるのか。出会うこと、雑誌を続ける意味はそれしかない。
スイッチ編集長 新井敏記