ニューヨークから東京に戻り、そして病院で亡くなるまでの坂本龍一の最晩年を記録した「Last Days」という、NHKスペシャルを見た。
ピアノに向かっているように指をゆっくりと動かす場面、坂本が手の甲を空に掲げた時の指の長さと、指間腔の広さが、無駄のない化石のようで美しかった。
人は生まれ出ることは自分で選べないが、死ぬことは自分で選べる。それは人に与えられた唯一無二の尊厳だと、坂本の静かな表情から感じた。そしてむき出しの生が痛く辛かった。
深夜、坂本の「Put Your Hands Up」という曲を聴きながら、詩人谷川雁の言葉を坂本の人生に重ねた。
「すべての物質は化石であり、その昔は一度きりの昔ではない。いきものとは息をつくるもの、風をつくるものだ。太古からいきもののつくった風をすべて集めている図書館が地球をとりまく大気だ。
風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石だ」(谷川雁、『ものがたり交響』より)
坂本龍一、享年71。
「Put Your Hands Up」は、ニュース番組で流れていた時はわからなかったが、カンタータのような喜びの歌のように聴こえた。
マウリツィオ・ポリーニも3月に亡くなった。
彼の奏でるベートーヴェンが、明朗な方向に人を向かわせるようで好きだった。享年82だという。2018年10月、サントリーホールで聴いた公演では、当初は演目にベートーヴェンの「悲愴」「ハンマークラヴィーア」が入っていたが、急遽ドビュッシーの「前奏曲集第1巻」、ショパンのソナタなどに変更された。ピアノは老いをモノローグのように語る世界だと、この時実感した。
ポリーニは小柄だが、坂本同様に反り指の幅が広く、ドから1オクターブと5度上のソまで届いた。
80歳のヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンのソナタを上野の東京文化会館の天井桟敷のような5階席の1列目で見たことがある。たしか1975年頃、今から約半世紀も前のことだ。何もステージから一番遠いというからではない。ケンプのもはや力が抜けた音は実にまろやかで、階上までを包み込むように流れていた。音楽家には自分のためだけに演奏をする時が生涯に一度か二度ある。この夜のケンプは、自分の生前葬の様相であった。彼が教会音楽家の家に生まれたことを考えながら、身を乗り出してその至福に僕は浸っていった。
「ぼくらは手のひらの中で生かされているだけ」と、語ったのは坂本龍一だった。
遠くにケンプやポリーニ、そして坂本龍一のピアノを弾く手を思い出して見ると、甲の記憶しかない。
賢者は手のひらを見つめるのは、自分しかいないと知っている。手の甲は痛くても辛くても、手のひらは、風に吹かれ、雨を吸収し、空を写す。
スイッチ編集長 新井敏記