長崎県の壱岐島は自然豊かで高い食料自給率を誇り、数多くの神社や遺跡や古墳などの貴重な文化資源も数多く、2018年には離島で唯一「SDGs未来都市」に選定された。
果たして持続可能な地域活性のモデルになぜ壱岐が注目されているのか、壱岐のSDGsの取り組みの中心、平山旅館を訪ねた。
奥壱岐の千年湯の旅館
壱岐島の北西沿岸部、島内唯一の温泉郷である湯本温泉を見下ろす位置にある平山旅館は、65年以上にわたって営業を続ける老舗旅館だ。建物は木と土壁を基調に和とモダンが融合した造りで、入り口正面には大きく「龍」と書かれた書と季節をめでる生花が旅人をあたたかく迎えてくれる。客室は8室。洗練された和のしつらえは、居心地の良さとともにどこか懐かしさ佇まいを感じさせてくれる。
平山旅館は1500年以上の歴史を誇る湯本温泉の発祥地であり、鉄分を含んだ赤い塩湯を源泉掛け流し100%で堪能できる温泉宿だ。温泉として認可されるための成分が基準値の14倍もあり、温泉成分日本一といわれる兵庫の有馬温泉に匹敵する。「日本書紀」に登場する神功皇后が三韓出兵の折に発見し、我が子応神天皇に産湯を使わせたという伝説がこの地には残っており、選りすぐりの温泉宿だけが会員になれる「日本秘湯を守る会」の会員宿にも登録されている。日帰り利用もできる大浴場には露天風呂があり、温泉の蒸気を利用した蒸し風呂と水風呂を備え、さらに宿泊者は無料で利用できる二つの貸切露天風呂がある。
写真=谷口京
壱岐に暮らす人たちに長年愛されてきたこの温泉に、浸かるだけでも訪れる価値は十分にある。この温泉にもSDGsの観点から注目される秘密があるんですと、3代目女将の平山真希子さんは話す。
「ここの源泉は69℃あるので、その熱を利用できる熱交換システムを作っています。源泉をまず貯湯タンクに入れて、その中にステンレスコイルを入れて水道水を通すことで水道水も最高で60℃くらいまで温まります。最小限のエネルギーで浴室のシャワーや厨房で使う温水が作れますし、それと同時に源泉も適温まで冷まして掛け流すことができます」
「やっていることはケチなんです」そう平山さんは笑って続ける。
「でも、あたりまえのようにただ自然を享受するのではなく、もったいないという気持ちでなにか別の使い道を考えてみるのは、これからはとても大事なことだと思います」
食材は自分たちで採る、獲る、作る
平山旅館の魅力は温泉だけではない。ここは食を愉しむ旅館でもある。壱岐は一年を通じて食材が豊富なことから、自給自足できる島と言われてきた。旅館で提供される料理の食材はほぼすべてが壱岐の地のもの。しかも、そのほとんどが自家農園で育てた無農薬野菜を主体に、島の至るところで採れる山菜や柑橘の類い、そして料理長や会長が自ら獲ってきた魚など、メニューは実に豊かで、食材は自分たちの手で調達したものばかり、つまり、フードマイレージがゼロなのだ。夕食の献立はその日収穫した食材に合わせて毎日変わり、旬の魚介を中心とした海の幸と山の幸がぜいたくな会席料理で提供される。先付、吸口、造里、煮物、替鉢、蒸物、鍋物、食事、甘味と、こちらの食べるペースに合わせて次々と料理が運ばれ、ゆっくりと壱岐の自然と五感を通して堪能することができるのだ。
写真=谷口京
朝食もこだわりがある。名物は自家農園で無農薬栽培した、紫カラシ菜・わさび菜・ミックスレタス・クレソン・赤大根・紫大根・青長大根・紅芯大根・紅くるり大根・セロリ・ニンジンなど、10種類以上の生野菜をフラワーアレンジメントのように華やかに盛り付けた特製サラダと大陸伝来の巨大な壱洲(いしゅう)豆腐、そして玄界灘の天日干し干物。ふっくら炊けた壱州米には平飼い鶏の産みたての卵がよく合う。美味しくてヘルシーなこの朝食を楽しみにしているファンも多いという。
写真=谷口京
平山旅館の料理は朝晩ともにボリュームたっぷりだ。お客様にちょっともの足りなかったと思われるよりももうお腹いっぱいで食べられないと思ってもらえたほうが嬉しいからという、料理長の平山周太朗さんの思いによるものだ。「残すのはもったいないと思われるかもしれませんが、余った食材は飼育している鶏や馬の餌や畑の肥料になるので安心して残してくださいね」と給仕係の女性が声をかけてくれる。そうしてフードロスをゼロにするだけでなく、残飯がやがて卵や野菜などの恵みに変わって再び食卓に戻ってくるのだ。
「今のようにSDGsという言葉が広まるまでは、うちの旅館では“循環型社会”を実現しているんですよ、とお客様に伝えていました。昔はあたりまえとされていたアナログな暮らしを今も続けているだけで、SDGsの最先端になるんです」
女将の平山真希子さんは続ける。
「SDGsという流れにただ乗っかるのではなく、この暮らしこそ次世代に繋げていきたい。この旅館に嫁いだ時から、例えばお漬物を漬けて保存食を作ることや、旬のものを旬の時期に食べるということからして、都会で生まれ育った私にとっては経験してこなかったものでした。でもそれを、時代や環境のせいにしてはいけないとも感じたんです。うちは畑もやっていて狩猟もするし、馬や鶏やミツバチを飼っていたりと、循環型社会というものをひとつの旅館で完結させています。しかもすべてオーガニックです。これからの生き方を考える最先端の取り組みをしていました。先代女将や会長は何も特別なことはしていないと言うんですけど、自分の子どもや孫が口にしていいものを作ることもしかり、あたりまえのことをもっとみんなに知ってもらいたいという思いから、大きな視野で旅館業というものを捉えられるようになりました」
SDGsを軸にした新しい取り組み
旅館で過ごす時間がSDGsやこれからの生き方を考えるきっかけになればという思いから、平山旅館では「SDGs体験・体感プラン」を今年新たに始めた。用意された3つのプランを今回、実際に体験させてもらった。
1) SDGsビーチクリーンプラン
壱岐には数多くのビーチがある。旅館から3キロの距離にも里浜という美しいビーチがあるが、オフシーズンのビーチには多くのゴミが打ち上げられていた。なにもすべて壱岐の人が捨てたゴミというわけではない。海は繋がっているので、遠く離れた海からゴミが漂着し、誰かが拾わなければまた流れていくのだ。目につくのはプラスチックだ。ペットボトルや食品の包装ケース、育苗用のポリポット、大きいものでポリタンクまで種類は実に様々。夏に海水浴客が気持ちよくビーチを利用できるのは、きっと誰かが掃除をしてくれていたからだと思い知らされる。旅館が貸し出しているエシカルブランド「ELEMINIST」のゴミ拾いトングを使ってゴミを拾うことで、現代人の生活とは切り離せないプラスチック製品の弊害について考える良い機会になると同時に、よりその土地の自然を愛しく思える体験になるはずだ。拾い集めたゴミは旅館が責任を持って処分してくれる。
2) 鶏の餌やり&卵とり体験プラン
平山旅館から歩いてわずかの距離には鶏小屋が2カ所あり、名古屋コーチンなどの地鶏やチャボ、ホロホロ鳥など卵を産む多様な種が百羽以上平飼いされている。残飯であろうと人間が食べる栄養価の高いものを日々食べているので、どの鶏も見るからに健康そうだった。小屋に入って残飯の野菜くずを鶏たちに与えつつ、産卵箱に溜まった卵を手に持つと、まだほんのり温かかった。この卵は翌朝の朝食で食べたり、お土産として持って帰ることもできる。生き物を育てながらフードロスをなくし、また別の食材となって返ってくるというまさに“循環していく様”をリアルなものとして感じることができた。
3) 農作業&土づくり体験プラン
平山旅館には4反の畑がある。なかでも特徴的なのが80本の梅の木が並ぶ農園だ。敷地内では畑のほかに養蜂もされており、貴重なニホンミツバチによって梅の受粉を助けてもらいながら蜂蜜や蜜蝋をいただく。ここにも循環の形が見える。旅館の食事で提供したウニの殻や野菜くず、鶏糞や馬糞を干した堆肥は畑の土づくりに役立てられている。また農薬を使わない代わりに、虫除けの効果がある海藻を木にかけ、天然ハーブやモリンガの液体を野菜にふりかける。こういったことを体験するとともに、季節によっては梅の木の剪定やミツバチの蜜集め、梅の実摘みや果実のもぎ取り、果実酒をつくるなどの体験ができる。自分で採った野菜や果実をそのまま夕食で提供してもらえるのも嬉しい。日々の暮らしの中で無農薬野菜などのオーガニックなものを食べる機会はあるけれど、作り手と直接話したり、実際にどのように野菜が作られているかを知ることは、旅館で提供される料理をさらに美味しくさせてくれるに違いない。
写真=谷口京
島の恵みを次世代に残していくために
3つのプランを体験してみて近い印象を持ったのは、水族館が行うバックヤードツアーだった。裏側のスタッフの努力を見ることで新たな視点が加わり、提供されるサービスをより楽しむことができるのだ。循環の輪の中に実際に自分も携わってみること、そして目の前の料理にどれだけの人が関わっているかを知ることが特別な宿泊体験につながる。
体験プランをまわっている合間に、会長の平山敏一郎さんが鶏小屋や馬小屋、畑を次々に移動しながら忙しなく働いている様子を目にした。会長は普段旅館で宿泊客の前に姿を見せることはほとんどない。旅館の循環型社会を支える縁の下の力持ちの姿がそこにはあった。
「獲りに行けば食材はなんでもある。釣り竿1本持っておけば、そこらへんで貝でも拾って叩き割って餌にすれば釣れる。今の時代はなんでも買って食べるのが当たり前だけれど、昔はなんでも自分たちで獲っていた」
会長は得意げにそう話してくれたが、昔と比べて壱岐の自然がどんどん失われていくことを危惧していた。
「開発の影響もあるけれど、一番は温暖化。獲れる魚も変わり、釣れる時期も変わってもうめちゃくちゃです。磯焼けが起きて、海藻を主食とするアワビ、サザエ、ウニもどんどん少なくなっている。それに壱岐は本来遠浅の海だったのに、護岸工事ばかりするから沿岸部の海面に藻が溜まって腐り、ヘドロになる。昔は砂浜に打ち上げられた海藻をよく肥料に使っていたけど……。もうなんもかもおかしいですよ」
70年以上にわたって壱岐の自然とともに生きてきた会長の、未来を憂う言葉には重みがあった。
壱岐は自然だけでなく文化的な面でも魅力溢れる島だ。「古事記」や「魏志倭人伝」にも登場する歴史背景があり、はるか昔から文化が受け継がれてきたからこそ、今も日本の成り立ちを垣間見ることのできる重要な島となっている。平山真希子さんは、壱岐に来てそういった文化も知っていくなかで「島にある宝物を大切に磨き上げて、次に伝えるのが私の仕事だと思えるようになった」と話す。壱岐を持続可能な地域にしていくためには、平山旅館だけでなくそこを訪れる一人一人が意識を変えていくことが大切だろう。そして、そうやってバトンを繋いで壱岐からさらに他の地域へと広げていくことが、SDGsというもののひとつの理想形になると確信した。
株式会社平山旅館
〒811-5556
長崎県壱岐市勝本町立石西触77番地
Tel.0920-43-0016 FAX:0920-43-0847
http://www.iki.co.jp/
平山旅館が運営する通販サイト『壱岐もの屋』
https://www.ikimonoya.com/?mode=f5