壱岐島、千年湯を訪ねて

天与の恵みとして古くから日本人を癒し、信仰の対象とされてきた温泉が壱岐島にある。神々の島に古くから湧く湯本温泉を訪ね、日本人と温泉のあゆみを紐解く。

写真と文=奥田祐也 協力=平山旅館

奇跡の赤湯

日本にはおよそ3000に及ぶ温泉地があり、その数は世界一を誇る。その歴史は古く、『古事記』や『日本書紀』にも温泉の記述が登場する。しかしそのほとんどが近代になって掘削開発されたもので、自然湧出による1000年もの歴史がある温泉でいえば100程度とされる。

離島で唯一の千年湯が壱岐島にある。博多港から北西約70キロの玄界灘に浮かぶ壱岐島は、自然豊かで風光明媚な島だ。『古事記』の国生み神話では、5番目に生まれたのが「伊伎嶋(壱岐島)」であると記され、古来より神々とのゆかりが深く、島内には神社庁登録だけで150の神社があり、さらに小さな祠も含めると1000を超えると言われる。まさに島全体がパワースポットだ。

島の北西部の湯本湾の入り江に湧き出す湯本温泉は島内唯一の天然温泉で、なんと1700年もの歴史を持つ。11の温泉施設のすべてが自家源泉でかけ流し、泉質は鉄分と塩分を豊富に含み、温泉と見なされる成分は基準の14倍という超高濃度温泉だ。透明な湯は空気に触れた途端、含まれている鉄分が酸化して赤褐色に染まる。

「湯本の温泉では奇跡がたくさん起きている」と、湯本で最も古い歴史を持つ平山旅館の平山真希子さんは話す。

「温泉の成分が濃いので、リラックスしながらも温泉に身体が負けないように細胞や免疫が活性化して自然治癒力が高まり、持病や慢性病が治るんです。杖を2本使わなければまともに歩けなかったおじいさんがうちの温泉に毎日通っていたのですが、ある日杖を1本忘れて帰られたことがあったんです」

各温泉には奇跡のような効能が語り継がれ、湯治場として古くから愛されてきた。町づくり協議会の原英治会長は「ここは魔法の湯でした」と話す。

「かつては対馬からも湯治客がよく来ていました。うちのおふくろも昔、漁船の事故で顔が爛れるほどの火傷を負ったのですが、毎日温泉に通っていたらすっかりきれいになりました」

近代医学が温泉成分の医療効果を明らかにする以前、温泉で起こる奇跡を人々が神仏の力の発現と見なしたことはきわめて自然な成りゆきだった。湯本温泉の起源は神功皇后伝説として今に伝えられる。神功皇后が三韓征伐の帰りに壱岐に立ち寄られた際に湯本の路傍に湧き出る温泉を発見し、皇子(応神天皇)誕生の折の産湯に使われたことから「子宝の湯」と呼ばれている。

原会長はこんな話も聞かせてくれた。

「以前湯本に勤めていた駐在さんのところはずっと子どもができなかったのですが、奥様にここの温泉に入りなさいと周りが勧めたところ、壱岐での駐在を終えてすぐに子どもができたと連絡がきました。奇跡を信じて温泉に通ったのもよかったんでしょうね」

温泉がつなぐもの

湯本が湯治場となったのは徳川の時代。徳川家光の時には温泉山医王院と呼ばれて15体の仏像が置かれた。平山旅館の浴場前にも、医薬の仏で温泉の守護仏とされる薬師如来が祀られていた。仏様以外にも霊験あらたかな熊野権現が勧請されている。熊野は「ゆや」とも読み、「湯屋」すなわち温泉の神として古くから信仰されてきた。

玄界灘は昔から鯨が通り、湯本はかつて鯨伏と呼ばれる島内随一の捕鯨の名所だった。熊野神社の榊原宮司は「日本の捕鯨発祥地とされる紀州から鯨捕りの技術を学んだ際、熊野本宮大社から熊野権現さんを一緒に壱岐に持ち帰ったのではないかと思います」と話し、神社と温泉の関係を説く。

「湯本にある阿多彌神社には、御祭神として少彦名命(すくなひこのみこと)が祀られています。少彦名命は医学の神、薬の神、温泉の神、醸造の神とされている。それにアタミは温かなる泉の意味もあり、昔の人はこの地をアタミと言ったそうです」

一支国博物館で考古学を研究する松見裕二さんは、2000年前からこの地に温泉が自噴していた可能性を推測する。

「湯本の近くのカラカミ遺跡は弥生時代に壱岐で土器を赤く塗る原料がつくられていたことを証明する重要な遺跡ですが、そのような丹塗り文化が生まれる背景には湯本温泉があったと推測しています。湯元から沸き出す温泉に含まれる鉄分の成分を利用し、丹塗りの原料をつくり出していたのではないでしょうか」

このように時代を超えて、温泉は天与の恵みとして慈しまれてきた。しかし、観光目的の過剰な温泉開発の果てに失われつつある文化もある。湯治もそのひとつ。湯治の保養効果は温泉の効能に限ったことではなく、自然の中で非日常を味わい、裸同士の交流によって醸される。湯本もかつての自炊宿は旅館へと姿を変えたが、湯治の原点は今もなお残っている。

湯本には部屋借りという文化がある。朝からお弁当持参で旅館に来て、友達同士で日中だけお部屋を借りて温泉や部屋で談笑し、夕方帰っていくというものだ。中には足腰の不自由な常連客もいるため、自宅まで送り迎えをする施設もあるという。また、島外から湯治目的で滞在する人のために、平山旅館は自炊ができる一棟貸しの離れを昨年オープンさせた。時代は変わっても、人の心に寄り添おうとする温泉街の本来の姿がここ湯本にはあった。

平山旅館
〒811-5556
長崎県壱岐市勝本町立石西触77番地
Tel.0920-43-0016 FAX:0920-43-0847
http://www.iki.co.jp/
平山旅館が運営する通販サイト『壱岐もの屋』
https://www.ikimonoya.com/?mode=f5

information

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価格:¥1,300(税込)
発売元:壱岐島湯本温泉旅館組合

※本稿はCoyote No.78に収録された記事に加筆したものです。