角田光代インタビュー「第2回 書けば伝わる」

雑誌SWITCHで2014年から約5年間連載した作家・角田光代さんによるトラベルエッセイ「オリオリ」が、2冊の本になりました。第1弾が『大好きな町に用がある』、そして第2弾が『いきたくないのに出かけていく』です。今回はその2冊の刊行を記念し、角田光代さんのスペシャルインタビューをお届けします。旅のことはもちろん、作家という夢との出会い、そしてライフワークのマラソンについてなど、一つひとつ紐解いていきます。

訊き手:SWITCH編集長・新井敏記


(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」の放送を再構成したものです)

角田光代RADIO SWITCH

第2回 書けば伝わる

角田光代さんが作家を目指したのは7歳の時。内気で、思っていることを口に出して伝えることの出来なかった本好きの少女は、ある教師との出会いを経て、「書く」という武器を手に入れる。書けば伝わる。そのシンプルな行動原理に突き動かされ、少女は「作家・角田光代」への旅路を歩き出す——

—— 最初に読んだ本や記憶に残っている本はどんな本ですか。

角田 保育園の時に読んでいたのは全部絵本ですね。自覚的に本を読むようになって、すごくのめり込んだのが『ちいさいモモちゃん』と『いやいやえん』。

—— 中川李枝子さんと松谷みよ子さん。その2作はどうして角田さんの琴線に触れたんですか。

角田 『いやいやえん』ははっきり覚えています。主人公の「しげる」という男の子が嫌すぎて、その感覚がものすごくリアルだったんです。この子が自分の生きている周りにいたら地獄だな、と思って。でも、そのリアルさにのめり込んだんだと思うんですよね。

   『ちいさいモモちゃん』は、その時の自分の年齢に近い女の子「モモちゃん」が主人公でした。モモちゃんは、例えば押入れの奥にネズミの王国があるような、現実とファンタジー、現実とそうでないものが混じり合った世界の中で生きている。おそらく、7歳の私もそれに近い感覚があったんだと思うんですよね。だから、それもやはり、当時の私にとってリアリティがあったんだと思います。

—— 7歳の時に、作家という道を選んだきっかけは。

角田 本を読むことは元々好きだったんですが、小学1年生で作文を書くことを覚えました。初めて作文を書いた時に、自分の中で何か革命が起きたような、とてつもない楽しさがあったんです。

—— それはどんな革命ですか。

角田 “書けば伝わる”ということですね。当時の私は、喋るのが非常に苦手で、ずっと喋らないでいたんです。そうすると、誰も何も分かってくれない。でも、世界ってそういうものだと思ってたんですよ。誰も分かってくれないから、黙って誰かが気づいてくれるまでじっとりと、念を送るしかないようなものだと思っていたんです。でも、そうじゃなかった。言葉にして、文章に書いて、それを読んでもらえば伝わる。その事実に異様なくらい興奮を感じました。それで自主的に作文を書くようになって、国語の先生に何度も見せに行ったら、ある時すごく褒めてもらえて。読むのが好き、書くのが好き、となった時に職業として作家しか思い浮かばなかったんです。

—— 先生はどんなふうに褒めてくれた?

角田 とにかくいっぱい作文を書いたんですけど、最初の作文は褒めるというよりは「よかったね」というようなシンプルな反応でした。初めて褒めてもらえたと感じたのは、海に行った時の作文です。波が打ち寄せる様子を「波がレースのようだった」と表現した箇所に、一文字ずつ丸を付けてくれて、「すごく表現が美しい」って書いてくれたんです。それが最初じゃないかなと思います。

—— 自分の殻に閉じこもりがちだった子どもが褒められたことで、希望の扉が開いたような感じだった。

角田 それはもう、嬉しくて嬉しくて。だから、その後も作文を書きまくりましたね。

—— それは誰かに見て欲しいという思いで書いたんですか。それとも自分の中で、今までとは違う自分を発見したいという思いがあったんですか。

角田 やっぱり、「誰かに見せたい」じゃないですかね。自分の思うことが誰かに伝わるということの面白さを求めていたのだと思います。

—— 7歳の時にその感動を味わって、今までずっと続けていらっしゃるわけですね。

角田 実はそうでもないんですよ。小説家になりたいという思いはずっとありましたけど、作文書きは3年生で一旦挫折したりとか、色々あります。

—— 作文書きに挫折したのには何か理由があったんですか。

角田 3年生になって、国語の先生が別の方になってしまったんです。それでも、最初はそれまでと変わらず、ものすごい量の作文を書いて毎日持っていきました。でも、その先生は嫌だったみたいで。「毎日毎日よく書くね」ってコメント欄に書いてあったんです。その時に「ああ、書いちゃいけないんだ」と思って、そこから6年生まで書かなくなりました。

—— たしか、褒めてくれた先生がいた小学1年から2年までの2年間に、ノート60冊分くらいの作文を書いたと聞きました。

角田 はい。その2年間で書いているんですよね、結局。

—— その2年間が濃密だったんですね。

角田 そうですね。

—— 当時の作文を拝見したところ、角田さんが7歳の時に作家になりたいと思った時、悲しい物語ではなく楽しい物語を沢山書きたい、この日本を楽しくさせたいということを書かれていました。そのイメージというのは、言いたいことを口にすることが出来ない内気な幼少時代の自分自身を救いたいという思いもあったんですか。

角田 いいえ、あれはちょっと良いことを書いて、先生に気に入られようとする、ちょっとずるい感じですね。

かつて自分の思いを声に出して発することが出来なかった内気な少女は、その後、自らの夢を叶えて作家としてデビューする。そして、今では言葉の通じない海外の人とも積極的なコミュニケーションを重ね、その経験を書くことで多くの人へと共有している。書いて伝える、書くことで伝わる。一人の教師と出会うことで知ることが出来たその感動は、角田さんの中で一本の線のように今も続いている。

次回は角田さんの旅と並ぶライフワーク「マラソン」について——

*インタビュー第一回「旅する決意」はこちら

第三回「」はこちら

<プロフィール>
角田光代(かくたみつよ)
1967年神奈川県生まれ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞などを受賞著書多数。現在、角田光代訳『源氏物語』を刊行中。

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『大好きな町に用がある』
1600円+税
2019年2月28日刊行


『いきたくないのに出かけていく』
1600円+税
2019年6月28日刊行

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