雑誌SWITCHで2014年から約5年間連載した作家・角田光代さんによるトラベルエッセイ「オリオリ」が、2冊の本になりました。第1弾が『大好きな町に用がある』、そして第2弾が『いきたくないのに出かけていく』です。今回はその2冊の刊行を記念し、角田光代さんのスペシャルインタビューをお届けします。旅のことはもちろん、作家という夢との出会い、そしてライフワークのマラソンについてなど、一つひとつ紐解いていきます。
訊き手:SWITCH編集長・新井敏記
(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」の放送を再構成したものです)
第3回 どこまでいけるんだろう
旅する人・角田光代は“走る人”でもある。国内外を問わず、世界中のマラソン大会に参加し、現地の人々の温かな応援に支えられながらその土地を走る様子はエッセイ『いきたくないのに出かけていく』でもたびたび綴られている。中でも沖縄で毎年開催されるNAHAマラソンへの参加は、今年で8回目だという。角田光代はなぜ走るのか、そして彼女を惹きつける沖縄の魅力とは。話を訊いた—— 。
—— 角田さんは毎年のように沖縄に行ってらっしゃいますよね。
角田 NAHAマラソンに参加しているんです。今年で8年目。
—— そこまで角田さんを駆り立てる沖縄の魅力とは何ですか。
角田 NAHAマラソンは沿道の応援の方々と、ボランティアの方々の気持ちが熱いんですよね。すごく温かい応援で。さらに面白いのが、走り始めて1 キロメートルくらいの地点で、無料提供のステーキが出ていたりするんです。そして、走り終える41 キロメートル辺りの地点まで、一般の方からの無料提供がずっと絶えることがないんですよ。
—— 泡盛なども出るそうですね。
角田 ビールも出ています。
—— 普通に走る人にとっては、泡盛やビールを飲みながら走るなんてありえないですよね(笑)。
角田 ありえないですよね。でも、沖縄独自のあの温かさには、毎回泣いちゃうんですよ。沿道では子どもも応援してくれるんですが、ハイタッチを待っていたり、「ちばりよー」って声をかけてくれる。でも、その応援には誰かに言われてやっているとか、それやったらお小遣いがもらえるからやるといったような、気持ちの裏が無くって。本当に本気で応援してくれてるんです。あれは本当になんなのだろう。
—— それは沖縄の人が持っている独特の温かさだったり、環境の美しさみたいなことも関係してそうですね。
角田 本当にその通りだと思います。世界の各地で走ってますけど、海外の方もとても温かく応援してくださって、特に東洋人なんて滅多に見ないから名前を呼んで応援してくれるんです。けれども、1歳ぐらいの子からおじい、おばあまで一丸となって応援してくれる、あの沖縄独自の感じは他では見たことないですね。
—— 子どもたちの様子以外でも泣いてしまうところはありますか?
角田 もうスタートしてすぐのブラスバンドで泣いちゃいます。途中で小さい子がエイサーを踊っているのにも泣いちゃうし、泣くポイントは何度もあるんです。
—— その42.195キロの中に沢山のドラマがあるわけですね。
角田 はい、もう泣き通しですよ(笑)。
—— そもそも、角田さんはなぜ走るようになったのですか。
角田 同業者の友だちが、“走る”小説を書くので、取材のために編集者と数人で走るようになったんです。そのグループの飲み会に混ぜてもらいたくて、走り始めました(笑)。でも、飲み会に混ざりたいがためだけに走ろうと決めて実際に走ってみたら、最初は1キロも走れなかったんですよね。それを500メートル走れたら、来週1キロ走ってみよう。1キロ走れたら、じゃあ来週は2 キロ走ってみよう。という具合に、少しずつ走る距離を伸ばしていったんです。最初は本当に辛かったですよ。
—— その勤勉さが素晴らしいです。自分の中で、今日はこれしよう、明日はこれしようという明確な課題を設けて、それを達成していく。
角田 走り始めた時は39歳か40歳の頃だったんですけど、そうやって1週間ずつ走る距離を伸ばしていくと、少しずつでも走り切ることが出来るようになっていくんですよね。40歳になって新たに出来ることってあんまり無いから、自分でもびっくりしました。
—— 新しいことが出来るようになる自分に驚いた。
角田 じゃあ、どこまでいけるんだろうって思ったんですよね。5キロ走り切ることが出来たら、6キロも走れるかな、なんて考えながら走っていたらきっといつか出来る。そういう段々と出来るようになることって、加齢に伴って減っていくので、どんどん距離を増やしてみたくなったんでしょうね。私はボルダリングやヨガも仕事でエッセイを書くために体験したんですが、自分に合わないということがよく分かりました。その2つはコツコツ続けられないですね、私。
—— でも、ボルダリングなんてどちらかというとマラソンに近いというか、今日はこれをやろう、明日はこれをやろうと段階を追って達成していく感覚と近いのでは?
角田 そうですよね。でも、とても嫌だったんですよ。だから、私が物事をコツコツ出来る性質を持ち合わせているというわけではないです。“性に合うもの”に出会えば頑張ることが出来るけれども、“性に合わない”と感じたら全く頑張らないんだと思います。
—— それはみんなそうですよ(笑)。
角田 そうか(笑)!
インタビュー終盤、角田さんにいくつかの言葉を投げかけ、インスピレーションで回答してもらうということを試みた。直感から生まれるその回答には、角田さんの感受性の豊かさを見て取ることもあれば、少し意外とも思える言葉も垣間見ることが出来た—— 。
—— 今日はいくつか角田さんに質問を用意しました。インスピレーションで構いませんので、答えていただけますか。
角田 はい。
—— では、「虹」。
角田 虹は、「儚い」。
—— 「ひとり」。
角田 ひとり?……「好き放題」(笑)。
—— 「コンプレックス」。
角田 コンプレックスは、「素養の無さ」。
—— 「生活」。
角田 「繰り返し」ですかね。
—— 「ドア」。
角田 ドアは、「新しい世界」。
—— 「生まれ変わるなら」。
角田 生まれ変わるなら「男」がいいかな。
—— 「母」。
角田 母は「故人」ですね。
—— 「父」。
角田 父は、よく知らないまま、いなくなっちゃったなって印象が強いです。
—— 一番最近「ありがとう」という言葉をかけた場面は。
角田 ありがとう……あ、バス降りる時に「ありがとうございました」って言って降りました。この取材の前、ついさっきのことですね。
<プロフィール>
角田光代(かくたみつよ)
1967年神奈川県生まれ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞などを受賞著書多数。現在、角田光代訳『源氏物語』を刊行中。
(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」での対談を再構成したものです)
*インタビュー第一回「旅する決意」はこちら。
第二回「書けば伝わる」はこちら。
好評発売中
『大好きな町に用がある』
1600円+税
2019年2月28日刊行
『いきたくないのに出かけていく』
1600円+税
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