現在発売中の『SWITCH』2019年11月号で特集した、是枝裕和監督による新作映画『真実』。その制作のきっかけとなったのは、2011年に是枝が東京で行ったジュリエット・ビノシュとの対談だった。「女優とは何か?」「演じるとは何か?」という、『真実』のテーマとも深く関わる貴重なやりとりが記録されたその対話を、SWITCH ONLINEにて特別に公開。
「世界」を共有できるかどうか
ビノシュ 偉大な監督というのは、まったく演技指導する必要がないんです。存在感だけで充分。撮影現場である種のマジックが生み出されるのは、監督の存在そのものからにじみ出てくるものだと思う。
是枝 演技指導……、難しいところですね。映画をつくるときに何をいちばん重要だと考えるか。撮る対象がプロの役者であれ一般の人であれ、僕の場合はあまり変わらなくて、演技を撮るわけではなく、その人がきちんとそこで生活をしていて、その周りに人がいて、家があり、町があり、世界がちゃんとそこにある。彼らは映画が終わったあともそこで暮らし、もちろん映画が始まる前もそこで話したり、笑ったり、泣いたりしていたんだろうという、そういう世界を映画という枠組みのなかに立ち上がらせたいんです。もちろん、それだけではいま映画は成立しないと思われているから、2時間観ていただくために物語や、物語を動かしていくための演技が必要だとは思う。ただ、あくまでも最初は「世界」なんです。その世界が信用されるか否かというところが、僕にとっては映画のいちばんの肝であり、その世界を一緒につくってくれる役者が必要ということです。うまい演技をしてくれる人よりは、その世界を共有できる人かどうかが大事なんですよね。
ビノシュ その是枝監督の映画について感想を述べたいわ。3作拝見していますが、現代の映画作家のなかでも指折りの有数な素晴らしい作家だと私は思っています。
まず『誰も知らない』は端的にいうと母親に見捨てられた子どもたちを描いた作品ですが、子どもたちをただの子どもとして描くのではなく、ちょっと小さな大人たちとして、繊細に、そしてきちんと描いている作品だと思いました。このような題材だと、お涙ちょうだい的に、自己満足に描かれることが多いけれど(笑)、まったくそういうものとは無縁な形で撮影されている。本当に稀に見る真実というものを、この子どもたちが表現していると思います。
是枝 いま「小さな大人たち」といわれてすごくうれしかったんだけど、僕は彼らを尊敬して撮ろうと思っていたんです。言葉が抽象的で伝わるかどうかわからないけれど、一人ひとりの子どもを尊敬し、カメラを向けるという態度を、全編を通して貫こうと決めている。もちろん、子どもだからいい加減に撮るということは誰もしないと思うけれど、「尊敬して撮る」という言葉をずっと使っています。もうひとつは、子どもが持っている個性や言葉遣いや表情を、なるべく映画のなかに生かしたいと思っているんです。彼らから「もらってくる」というのは、ときに後ろめたかったりするんだけど(笑)。時間をかけて子どもと向き合い、その子の個性を見極めていって、「あ、この子はこういう言い回しが好きだな」と思ったら脚本に書き込んでいく。それを撮影中もずっとやりつづけて、子どもとキャッチボールをしながら映画をつくっています。その作業が、僕の映画に出てくる子どもがほかの映画に出てくる子どもと違って見えるところなのかもしれない。
たとえば新作の『奇跡』という映画でいうと、主人公のお兄ちゃんを演じたのは前田航基(*17)くんという大阪出身の男の子なんだけど、「意味わからん」と「わけわからん」というふたつが会話によく出てくるんです。それであるときに脚本に「意味わからん」と書いて、「弟がこういってきたら『意味わからん』っていって」と口伝え(*18)したら、「そこは『意味わからん』じゃなくて、『わけわからん』なんだな」というわけ(笑)。どうやら本人のなかでは明快に使い分けがあるらしい。それでその使い分けを注意深く聞いていると、どういうときが「意味わからん」で、どういうときが「わけわからん」なのか、なんとなくわかってくる。そこでひとつ彼に近づけたかな、という、その繰り返しなんです。この子はタコ焼きをどうやって食べるんだろうとか、お菓子を食べるときにむいた紙の匂いを嗅ぐだろうかとか、撮影前にともに過ごす時間のなかでじっと見つめる。そして彼らの癖や表情を見極めていくというんでしょうか。大人の役者への接し方も実はそうなんですが、そういう作業をやりつくせたときは、作品自体もたいがいうまくいきますね。
『誰も知らない』に関しては、撮影前にもかなり時間がありましたし、4つのシーズンを撮ったのですが、その季節の合間に子どもたちと過ごす時間がたっぷりありました。おかげで僕と子どもたちの関係もかなり階段を登れたと思います。子ども同士も、撮影していないときに彼らだけでどこかに遊びに行ったりしていましたし。非常に贅沢な時間の使い方ができた映画であり、彼らが過ごす時間や共有する感情というものが、映画のなかだけではなく、映画のそとにも広がって、非常に広い裾野をもったのではないかなと。
ビノシュ そうね。私もそのような広がりをこの映画に感じました。では次に『歩いても 歩いても』の感想ね。これはある家族のなかに新しい人たちが入り込んでくる話で、チェーホフの素晴らしい戯曲を思わせました。本当に人間それぞれの複雑さが描かれていたような気がします。描かれている人物の一人ひとりに、私は自己投影することができました。自分自身の生き方や考え方、感じ方、関心事、人として欠けているものは何かとか、そういうものを少し再考させてくれる映画です。私たちが表現する勇気のないことについても、思いを馳せられる。そして、観おわったあと、その映画がすぐに消えてしまうのではなく、ずっと長く自分のなかに残りつづけて、自分の人生に永遠についてきてくれる、そんな作品です。
是枝 ありがとうございます。でも『歩いても 歩いても』はでき上がったとき、海外のエージェントに「Too domestic.(日本的過ぎる)」といわれたの。確かにそうかもしれないし、そういわれるなら仕方ないかなと思っていたんだけど、結果的にはいろんな国で非常にあたたかく受け入れていただけた。僕もエージェントも予想外の結果でした。思い出したけれど、ビノシュさんが出演されたオリヴィエ・アサヤス(*19)の『夏時間の庭』(*20)は『歩いても 歩いても』とほぼ同じ時期につくられた作品ですが、この映画も母親の75歳の誕生日に田舎の非常に豊かな自然に恵まれた家に子どもたちが集まる話でした。状況は違うけれど、シチュエーションや親子が直面している問題、親と子は何が共有できて何が共有できないのかというテーマは、とても近いものがあったんです。しかも驚いたことに、子どもたちを見送った母親が家の前の庭にある階段をひとりで登っていく後ろ姿が映し出されるんだけど、その後ろ姿を見ていたら、この母親は死ぬんだなということがわかった。『歩いても 歩いても』でも母親と父親が近いうちに亡くなるという展開で、階段を登っていく老夫婦の後ろ姿で映画を終わらせたんですが、とても符合することの多い映画でした。
ビノシュ ねえ、私は『歩いても 歩いても』はぜんぜんドメスティックな映画だと思わないわ!(笑)
是枝 ありがとう。『歩いても 歩いても』で母親役を演じたのが樹木希林さんという女優さんなんですが、スペインでもフランスでもブラジルでも、「あの母親はうちの母親だ」といわれたんです(笑)。だから「Too domestic.」というエージェントの見解は間違っていたんだなというのはわかりました。
ビノシュ 最後に『空気人形』ね。この映画は、西洋化された現代社会で起こっている人と人との関係性を非常によく描いた作品だと思います。男と女の間のコミュニケーション不全について、素晴らしくインパクトの強いメタファーを使って描いていると思いました。私も会場にいる皆さんも、監督にそういうことが起こらないことを願っています(笑)。
是枝 (笑)ありがとうございます、そんなに丁寧に観ていただいて。
ビノシュ こちらこそ私の映画をたくさん観てくださって、ありがとう。
是枝 とんでもないです。『歩いても 歩いても』という映画は、文章に喩えると、散文を書こうと思ったんです。非常に日常的な道具と日常的な台詞と日常的な風景だけで映画をつくるということに徹してみようと思ってつくった。そのあとの『空気人形』は、逆に非常に観念的というか、現場では「詩」と呼んでいたんですが、「前が散文だったから、次は詩にしてみよう」と思っていたんです。だから、言葉の使い方も、映画のなかに出てくるいろんなものの使い方も、イメージを何層にも重ねていって、観念的に、象徴的につくっていった。
たとえば『歩いても 歩いても』に出てくる歯ブラシはただの歯ブラシ、風呂場のタイルはただの風呂場のタイルなんだけど、『空気人形』では、ちょっと違うものとして描いています。それは自分のチャレンジだったんですが、役者にとってもチャレンジだったはずなんですね。そこに少しだけ計算ミスがあった。作品は僕とカメラマンと役者から生まれたものでできている世界観なわけですが、小さな誤算があったとすれば、僕が思った以上に役者がみんなうまかったことなんです。ファンタジーの世界へ括ろうと思ったものが、リアルな世界にちょっとこぼれてしまった。自分の映画の反省をここで述べるのも何なんですけど……。
<注釈>
*17 俳優・タレント。1998年大阪府生まれ。2007年より弟・旺志郎とお笑いコンビ「まえだまえだ」を組んでおり、ツッコミを担当。主な映画出演作に『千夏のおくりもの』『バルトの楽園』『ゲゲゲの鬼太
郎』『ソロモンの偽証』など。
*18 直接口頭で話して伝えること。是枝監督は子役に対しては脚本を渡さず、リハーサル時に口頭で台詞や演技を指示することが多い。
*19 フランスの映画監督。1955年パリ生まれ。70年代に『カイエ・デュ・シネマ』で批評を執筆、その後映画作家に。代表作に『イルマ・ヴェップ』『クリーン』など。脚本家としてアンドレ・テシネ監督の『ランデヴー』『溺れゆく女』などを執筆している。
*20 2008年のフランス映画で、日本は09年公開。母が遺した瀟洒な一軒家と貴重な美術品を前にした、3人の子どもたちの姿を描く家族ドラマ。オリヴィエ・アサヤスが監督と脚本を手がけた。
SWITCH vol.37 No.11 特集 是枝裕和 嘘という魅力的な魔法